2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

召喚魔法と異界の越境と その10

FF10ネタバレ。 念のため、それでもFF10は一つの正しさを貫いている以上、作品として許容されるべきだ。 シナリオ上の語りの切断であり構成上の分裂である回想シーンとそれ以降がレベルやアイテムの数値によって連続している、その一点が守られているためだ…

召喚魔法と異界の越境と その9

FF10ネタバレ。 こうして見た場合、主人公ティーダとヒロインのユウナの「泣けるエンディング」は意味合いが多少ずれてくる。単なる愛しあう二人の悲しい別れであれば、それはユウナレスカの敷いたレールの上を走っているのと変わらない。 実質、ティーダの…

召喚魔法と異界の越境と その8

まだまだFF10ネタバレ。 この回想期間の一本道と飛空艇入手の接続点は、完全な断層である。『ゲームシナリオのドラマ技法』ではFF10の最大の盛り上がりを「父と子の対決」に見出す。確かに最後の戦闘は見かけ上は主人公ティーダの父ジェクトとの対決だが、こ…

召喚魔法と異界の越境と その7

FF10最重要ネタバレあり。 もちろんそれでも「数の及ばない領域」への希求は作り手側にも受け手側にもあって、例えばFF10のメインシナリオライターである野島一成のシナリオは特にその傾向が強い。シナリオのクライマックスにおいて「戦わないこと」を求めた…

召喚魔法と異界の越境と その6

一応逃げとくと、文学史のヒトに言わせれば全ての小説はジャンル小説になるんだろうが、ソレはこの際関係ないので放置。 さて、RPGでは諸々の数は量あるいは質のどちらかに偏るものではなく、物語としての機能そのものである。文法における述語、動詞に近し…

召喚魔法と異界の越境と その5

数値は当然ながらそれ自体が多重性を持つ。というより並列する諸要素を積み重ねた「ひとまとまり」に変換する(その逆も)のは数値と四則計算の機能に課せられた役割(物語性)なので、一般社会で何やかや蔑まれる数値の概念をゲームだからといって堂々と表…

召喚魔法と異界の越境と その4

例えば、これはAVGになるが、『DESIRE』『EVE』シリーズあたりのマルチサイトシステムは、二つの異なる視点キャラクターを交互に操作していき、最終的には真相を知る別キャラクター視点の語りへとなだれこむ。これなどは一本道ではないが(一本道より遥かに…

水月MAD

なんか、ここんとこで連続して水月のMADが上がってるらしく。http://www.nicovideo.jp/watch/sm96264 コンシューマー版の雪さんが鳥居花音さん(名前は変えてます)なのが、いまひとつ腑に落ちなかったんだけど、なんとなく方向性が理解できた気がした。 …

召喚魔法と異界の越境と その3

もちろん原理主義に過ぎても結局は誰も見てくれない。どうも、個人主義の小説を模倣しつつ、他力本願、仏教説話の変奏みたいなのが強引に封入されてるフィクションは当り前にあるようで、FF10も最終的にその一つに収まるのではないかと思われる。 そゆのは大…

召喚魔法と異界の越境と その2

名前隠してもしょうがない気がしてきた。元ネタ。・川邊一外「ゲームシナリオのドラマ技法」新紀元社2005>FFXのストーリーは、理を優先する「技術者の夢」という気がします。>理性先行は、死愛好( necrophilia )を一つの特徴とします。>要は、ゲーマー…

召喚魔法と異界の越境となんやかや

先日来からの懸案のFF10。 FFてのは、歴代追っかけてくと実は「ファイナル」て名前に妙に忠実な話が多い。つまり「もう失われた冒険の世界の最後の輝き」みたいな。ネタバレになっちゃいますか。「世界を救う話」なんだけど、ドラクエ世界ではゲーム世…

群体考察

群体モノの代表は当然ながら「とらいあんぐるハート」であり、その系譜を引く「リリカルなのは」だが、「とらいあんぐるハート」の1作目が『 To Heart 』と大きく違うのは和姦のエロシーンが複数回あることで、このことが「ヒロインとのエロ=ゲーム攻略の…

リヴァイアスの主題歌とか。なんとなく。

http://someru.blog74.fc2.com/blog-entry-96.html んーと、凄い真面目に書いてるだけに、非常に判りやすい違和感がかもし出されてるわけだけれども。 アレが扱ってる代物が、まるで新しくない、ていうのは、やっぱ問題で。 あれで新しい知見を得られる代物…

キラータイトル

http://www.square-enix.co.jp/fft/ ということで、やっぱDSより先にPSPを買うことになるのであった。 だってさ、「あの絵」が動くんだよもん。ようやく高解像度の意味が生じますよ。 そいや、GW中に弟が帰ってきてて、FFT持ってないの?と聞いた…

群像劇ではなく

群像劇ではなく、群体劇という言葉を使いたい。 群像劇という言葉だと、『あずまんが大王』や『苺ましまろ』を取りこぼしてしまう気がする。でも実際に今、群像劇としての扱いを受けている代物が、そのへんと無縁であるわけもない。 たとえば『ハチミツとク…