召喚魔法と異界の越境と その6

 一応逃げとくと、文学史のヒトに言わせれば全ての小説はジャンル小説になるんだろうが、ソレはこの際関係ないので放置。

 さて、RPGでは諸々の数は量あるいは質のどちらかに偏るものではなく、物語としての機能そのものである。文法における述語、動詞に近しいと言ってもいい。つまり、RPGにおいて繰り返される戦闘はその数値において読まれるために、数の物語として一本道であり、数の物語の上でシナリオの弁証法が適用される。世界観や人物名や道具名やムービーは、数の物語に変換される限りにおいてリアルである。

 例えば、グラフィックの変化に対応したシステムの変更が上げられる。より「リアル」になったポリゴンとテクスチャーで描かれる冒険世界は、書き込みが緻密になりすぎた結果、そのままでは部屋の出入り口もわからずプレイヤーが立ち往生する結果を生んだ。その結果、リアルな背景画像の上に、判りやすく如何にもデジタルなアイコンを設置したり、リアルなポリゴンの立体空間とは別に、平面マップでキャラクターの位置関係を常に表示するような機能が別途配置されることになった。

 FFの7以降、私達はもはや、画面全体に表示される「リアルな背景世界」の上を歩いてはいない。私達が移動する際に見出すのは赤く輝く正四面体の矢印という「点」であり、あるいは画面左上に透けて表示されるマップという「平面」である。そこらじゅうに散らばる画面装飾としてのアイテム類にはろくに触れることもできず、手に入れられるアイテムはアカラサマな宝箱か、不自然に真っ平らな移動可能スペース上にキラキラ自己主張してみせる隠れアイテム類かの、どちらかである。この不自由さが他方で「何でも触れて何でも壊せる」のがウリのゲームを逆に高く評価させたりもしているのだが、要するにFFにおいては物語において不要なものは触れないものとして切り捨てるしかなかった。2Dマップが常時表示される世界においては、キャラクター達は通常画面のポリゴン世界への着地すら危機に晒されるのである。

 脱線したが、RPGでは物語上で必要なものは全て数値化される。例えばFFでは「無」「虚無」などと名付けられたものが、HPを持ちダメージを与えられる形で表記されることになる。

続く。