召喚魔法と異界の越境と その5

 数値は当然ながらそれ自体が多重性を持つ。というより並列する諸要素を積み重ねた「ひとまとまり」に変換する(その逆も)のは数値と四則計算の機能に課せられた役割(物語性)なので、一般社会で何やかや蔑まれる数値の概念をゲームだからといって堂々と表層に持ち出しえた時点でコンピューターRPGは勝っている。もちろん、そうした数値のダイレクトな強さ表示を忌み嫌う「高尚な」旧来のTRPG概念が高級カルチャーとして機能し、そちらを(複数人数でプレイする知的ゲームや、ロールプレイ重視など)「本来のRPG」として理想化することでコンピューターRPGというサブカルチャーの拡大が許容されたというのもあるだろう。「RPGは物語を語る新しいメディアである」てのも、その一つだ。

 とまれ、名前を持つモンスターや広がりを持つマップを、EXPやアイテム収集へと変換するのがRPGの本質である。FFにおいて物語と同じくらい重視されているのがアイテム収集であることは忘れてはならない。ウィザードリィでムラマサを追い求めて地下迷宮を数百時間さまようプレイヤーの動機は「物語」には取り込めない。むしろ物語こそが収集の対象となるてのは山内さんhttp://www.geocities.com/lovelyaichan2000/06.htmlの指摘だが、同様にムラマサもダメージ数値に変換しうるからこそ収集の対象になる。アイテム収集は常に数と数を導き出す数式(ひいてはレベルアップ)と共犯関係だ。そこからの見せ掛けの逸脱も含めて。

 念のため、確率さえRPGにおいては「ムラマサを求めて何万回とバトルする」という数量の問題に置き換えられて語られる。ついでに言えば、数百時間かけてMax能力値に育て上げたキャラクターがロストするのは耐え難い喪失だが、作ったばかりのLV1能力者を消すのは当り前だ。というかWizで水子(能力値の振りなおし)は基本中の基本である。前に「なぜヒトを殺してはいけないか」「社会的にコストのかかる人間は高価だ」とかいう問答に、「うん、つまり先進国社会的にコストのかからない発展途上国の少年兵士は安価だから普及するってことだね」(「子どもを兵士にすることは恐ろしいほどに「効率的」だからだ」http://d.hatena.ne.jp/abogard/20060814)と心中でアホなツッコミを入れたりしたが、ゲームの「確率」を巡る話も知らない国の子ども兵がどうでもいいのの裏返しのようなものだ。

続く。