落ち着きました。

 まあ、そうなんじゃないかと思ってたけど、見事に当てはまりすぎです「さくらむすび」。「水月」と「さくらむすび」と「ワンコとリリー」の引用だけでビジュアルノベル論が書ける。

 結局、ビジュアルノベルの文章において、語り手や主人公が一人の人格として成立するより、ヒロインキャラクターが立ち絵ていうグラフィックを軸として一個の人格を確立するほうが先んじてしまった、ということなんだろう。

 あるいは、そうしたキャラクターを巡るゲーム上の話がフツーにライトノベルにまで波及しうるのだとしたら、日本語の文章ってのはそもそも語り手や主人公の人格なんて存在せず、今も昔もあやふやであるべきなのかもしらんし、そんなところで登場人物単位での思考を弄ぶべきではないのかもしれない。そこまで考えてられないが。

 まあ、それは小説のほうの事情だ。ビジュアルノベルのシナリオには関係ない。