「ここはもう、桜の国なんだ」
「は? あ…え?」
きょろきょろ、辺りを見回す紅葉。
誰かがカンペでも出しているんじゃないかと期待しているようだけど、そんなものありはしない。
さすがの邦彦だって、今頃口をぽかんと開けて成り行きを見守っているさ。
「桜の国に…キミを否定する人間はいない。だって、ここには誰もいないし、何もないんだから。何も変わらない。傷つかない。キミが望んで、キミの意志で留まった、楽園」
いつかの彼女が望んでいた、楽園。
責任を負わされない、自分本位に生きてもいい、そういう世界。
まるで、この白い箱のような。
でも、だけど――
「疎まれて何がいけない。人から嫌われて何が? キミがキミだから。一個の人間として動いているから、一個の人間に嫌われもする。それの何が不幸なものか」
誰に望まれずに生まれてきても。
僕は今、ここにいるだろう。
大好きな妹と、家族と、愛する人と共に。
何が、誰が、不幸なものか。
「だから、キミもここを出るんだ。ここにはもう誰もいない。キミを嫌ってくれる人も愛してくれる人も、みんなもう、出て行ってしまった。ずっとずっと昔に」
そう、だから出るんだ。
紅葉と一緒に。
「…愛してる」
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大人になりたかった。
立派な大人に。
子供でありたかった。
無邪気な子供のままで。
何かが欲しかった。
何かが得られると思った。
この場所で――
いったい僕に、何ができただろう。
いったい僕に、何が残っただろう。
何を、得たのだろう――
無力さが、やりきれなくて、けれども責任を負うことも、力を持つことも恐ろしくて。
何にもできない自分。
さなぎの中に、じっとくるまって、動かない自分。
誰かが羽ばたくのを、待っている自分。
大人になりたかった。
だから――僕は、子供だったんだ。