とにかく話をおおきくしたいらしい

 えー。で。コンビニが黒いとかそーゆー言い方は、やっぱしっくりこなくてね。

 本屋で買ったハウツー本に書いてあるのと本部のマニュアルに書いてあるのとでは同じ内容でも有難みが全く違う、というフランチャイズ教なんだけども。宗教ということは社会デザインの思想にもなってるのであって。

 カレー屋にいってもラーメン屋にいっても創業者の自伝本が置いてあったりするあたり、フランチャイズという手法は、どうあっても経営(ノウハウ)は知識だけじゃ成り立たなくて、それを創造し伝道するカリスマ経営者やそれを賛美する消費者の声とセットで成立する。前に<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=200907">「アメリカというかたちの伝道者としてのコンビニ」</a>みたいな書き方したのだが、神様への信仰とセットだったはずの「知識」が、たぶん、キャラクターに流れてく(ドナルドのような)ほうと、生の人間にカリスマを付与してくほうの、二つに分裂してて。フィジカルにキャラクター、メンタルにカリスマ経営者(文学者でも作家でもゲームクリエイターでもいいけど)、みたいな。

 日本の風景をかえた、と言われるコンビニを普及させたセブンイレブンとそのカリスマ経営者とゆーのは、まぁ、告発本がどんだけチャチな法律違反や非道な所業をあげつらったとしても、実質的な意味で日本列島と日本社会と日本人を根底レベルで改造しちゃった怪物である。団塊ジュニアの労働力を背景にしてたり、フリーターの受け皿になったり、どんだけ深夜までバイトしてて他人と生活サイクルが違ってもコンビニで「他人と同じもの」が食える・買える・年金だって税金だって払えちゃう=だから俺は人並みの生活を送ってるといえる、といった全員平等社会に貢献してみたり。

 連想するのは種村季弘「詐欺師の楽園」の終章、詐欺師たちがデザインした集金モデルが今の途上国投資信託の基本モデルになりました、というオチで。セブンと鈴木敏文のレベルになると、トヨタ売店の営業マンが親戚一同に頭を下げて車を一台づつ買ってもらった挙句に三年目に会社に捨てられましたレベルのブラック話で収まりつかないと思うの。実際、本来の商品取引とは全く違う仕組みを作っちゃったわけで。その金の流れを「公共圏としてのコンビニ」「行政組織と一体化したコンビニ」であるような現在の姿と分けて考えるわけにもいかず。