エロゲ漫画としての「げんしけん」

 セックスシーン直後、単行本で添えられた「エロゲが役に立ったか」の揶揄からも「ヒロインの過去のトラウマを引き受けてセックス」の一連のプロセスを作者が自覚的に導入してるのは確実だが、オタクが嫌いな荻上さんが徹頭徹尾「えろげめそっど」が適用された男に都合のいいキャラとして用意され、その自虐的な「オタクの消費物」としてのメタ構造が批評にも皮肉にもならずユートピアの維持装置として働いていることについて。

 近くで実際にキモがってくれる春日部さんによって成立していたユートピアが「よりキモい」大野さんの導入で解体される過程への対抗として荻上さんは用意されたはずだ。ではなぜ二人はBLを巡って対立したのか。

げんしけん」の最も大きな嘘が男女混在ユルオタサークルの男がBLを読まない点であることは言を待たない。30年前「パタリロ!」をゴールデン放映し小学生男子を美少年にハマらせる日本国、古い人ほど往時の少女漫画で少年愛など読みなれてるしセラムン席捲以降の男女混在時代にしてもホモは身近なネタだ。

やおい穴をいつまで信じていたかなんて事は他愛も無い世間話にもならないくらいのどうでも良い話だが、それでも俺がいつまでやおい穴等と言う想像上の性器を信じていたかと言うと俺は確信を持って言えるが、最初から信じてなどいなかった。
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 元ネタから読み込めば「やおい穴が存在して欲しかった」との切実な叫びだ。男性向けエロテキストでは直腸が顫動・収縮し腸液が溢れ腸壁を隔てて子宮を刺激する平成ガメラ的リアリティに基づく「やおい穴」描写が当り前に使用されている。大体、現実に僕の所属していたオタ系サークルでは大学祭の打ち上げ時に目の前の男子をOBも現役も区別なく片端からカップリングして盛り上がってた。90年代半ばの話だ。だのに何故21世紀にもなって「男はBLを読まない」などという古臭い男女の分離を設け作劇の中心に持ちこんだのか。

 ひとつには女性側の「男子はホモ物を読んでない幻想」が上げられる。川崎駅ビルBE有燐堂の女性店員に僕が指で示した発売予定表の桜桃書房『BOY'S2』。瞬間「とっ、当店ではそのような本は扱っておりませんっっ!!」の大声とともに逃げ出す若い店員。青磁ビブロスふゅーじょんぷろだくとのトルーパー本が平積みされた棚の前で立ち尽くした、僕のトラウマ。