自慰の話

 同じ自慰でも道具で感覚は違う。ベッドの横にエロ漫画とエロゲーインストールされたPCとエロ小説とエロゲー雑誌があってどれを選ぼうかといったとき、同じ「純愛物」でも(同じ「陵辱物」でも)そのときの気分に最適なのを選ぶ。あるいはダイレクトエロか、りぼんコミックスか新聞の投稿イラストかの選択状況もある。半覚醒の勃 起状態を楽しむこともあるだろうし、作品の筆力で不可避的に勃 起させられることもある。つまり勃 起だけでも些細な違いは無限に発掘できると思う。初代サムスピナコルルの声で自慰したくて7000円ワンセットで叩き売りしてたネオジオサムスピを購入し投げ技でポーズさせ一番ノイズが少ないステージと対戦相手で喘ぎ声に聴きほれたのはよくある光景だったと思う。イース2の戦闘での自キャラダメージ音に催眠的に刺激されて自分のコントロールレバーばかり操作する人もそれなりにいると思う。白い紙に興奮したことはなくても紙を見て自慰に耽るなら白しかありえないという感覚はちょっと考えれば至るものだと思う。日によってエロ漫画の描線の見え方が全く違って見えてしまい昨日使えなかった作品が今日使えるのは誰でも経験する。

 上記は全て当り前の感覚だと思うが、僕は基本的に猥談が苦手で同性とそうした話で盛り上がったことがなく、またネット上に溢れるエロ話も勃 起の状況をひと括りにまとめてしまい細かい差異についてまで言及してくれないことが多く、全て推測、「〜と思う」になってしまう。

 でも、作品を享受するのの一方の極には、その作品で自慰するというのが必ずあると思う。読者の自慰の道具であるというのは作者の自慰であるのとちょうど対になってるし、好きなものだと何でも勃 起するもんじゃないかなと思う。そういう勃 起の揺らぎのようなのを説明したいなと。よく「凄い作品に出会って射 精した」という描写があるけど、勃 起にもいろいろあって興奮も一通りじゃないと思う。自分が猥談が苦手なのは、そのへんの細かいニュアンスが全部スポイルされてるからじゃないかという気がするのね。じゃあ自分で言えよといっても、まるで語彙が見当たらないのだけど。なんか変に比ゆするとイカニモな作品に対する感想になっちゃうし、そうじゃなくて自分の身体の一部の変形について、何かないかなあ、と。