truetearsつづき

 オトナニメでヤマカンのひとが取り上げてたのね。しかもまた断片から推測するに政治的な匂いしかしない物言いっぽい。一話見て視聴決定な態度だと述べてるなら、まぁ、そういうことなんだろうなーと。

 黒い色した鳥が飛び立つとこから始まる、木から落ちてくる女の子のお話。これで京アニAIRKanonの片棒を担いだ人間がピンと引っ掛からなかったらそりゃ無責任だ。ギミックのないドラマなどという褒めかたは、自分はギミックに引っ掛かって見ることになりましたという白状だろう。僕の言い方で、KanonAIRを素直に(混じりけなく)アニメ作品としてアニメ化してみせたプロットだと、彼は読んだのだろうと想像する。『人生』の名前を出してるあたりからして、ドラマうんぬんは京アニKanonAIRをああいうふうにアニメ化してしまったことに対し、製作者代表としてゴメンナサイせずにいられなかった、といった。何でもAIRに見える病ですね、ハイ。

 さて。

>ギャルゲーのアニメ化はわりと必然的に、女の子の失恋モノになります。わりと。
http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20080330#1206941457

 やはり「失恋」という部分を引っ張ってくるのには違和感がある。『true tears』が「ギャルゲーのアニメ化」として最も綺麗に回答してみせたことは間違いない。つうか、こうなるべきです普通。常識的に。

 が。

 ギャルゲーのアニメ化として正しいということは、逆をやればアニメのギャルゲー化としても正しいということである。『true tears』をギャルゲー化する正しいやり方とは、もう全くKanonのように各ヒロインごとのエンディングがあって他の男どもは中盤以降は殆ど姿も見せなくなり、もちろんヒロインの嫉妬心の発露なんか毛ほどもなく、男性主人公は自己葛藤することもなく乃絵と一直線に結ばれる、まぁ暇潰しに絵本世界と行ったり来たりぐらいするかもネ、という形になるということだ。本作がギャルゲーのアニメ化として正しいと述べる発言は、そのような石動乃絵の姿を描写するギャルゲーを喜んでプレイして萌えてエロシーンで抜いたりするのバンザイ! どっちの乃絵もイイネ、という意味だ。エロゲアニメ化のたび京アニ的な態度をくさす立場からの発言なら。

 そういう想像をしてしまった場合、失恋、まぁ、間違ってはいないかもだが核心というわけでもないし、ことさらに言っても、なぁ? という。