んで

 端から見てて、いつも思うことがある。

 実は、残虐表現やポルノのエロ描写なんて、喧々諤々とやってる連中の誰も、重要な問題だと思ってないんじゃないの?

 発表者に、『ひぐらしのなく頃に』と『コードギアス 反逆のルルーシュ DS』について質問してみた。質問つっても、まともな回答が返ってくるのを半ば諦めながらの発言だったので、話が噛み合ってないのはこちらの責任でもあるのだけど。

 まず、最近世間で何かあると名前が挙げられる「ひぐらし」は同人で(いっとき、東方シリーズすら無理やり名前に挙げられたよね)CEROの管轄外にあって、んで今後、何かにつけ話題にされやすいのってそーゆーのでは?と。したら「家庭用ゲーム外の同人作品のようなのは、ヒットしても数万本単位であって、その部分と家庭用ゲームについては分けて考えないとなんない」という回答で。

 なので「ひぐらしは移植され、移植作品はレーティングかけられてる。あるいはコードギアスは主人公はテロリストで人を殺して血も山ほど流れるけど、その部分はアニメでは青少年の見るに値する必要な表現として扱われて、それもゲーム化されレーティングにかけられてるが」ときき「メディア枠を超えた倫理の基準は取りざたされてるけど現実味がなく実現しそうにない」といった回答。

 そのへんで、いや全然違うよと思い、続けるとこちらの意図の説明が長くなりすぎるかなと諦めてしまった。とりわけ興味があったのは、移植やメディアミックスといった越境が当り前の現状で、レーティングはメディアごとの特徴の差についてどこまで意識的に捉えてるのか、だったのだけど。それと正反対の題材を持ってこられてしまったので萎えてしまってたり。

 で。それはそれとして。

 たぶん、上記の二例は、うまいことレーティングをやり過ごすのに成功してて。だからレーティングによる弊害とは逆のことを想像したりもする。

 つまり、CERO基準でDに調整しても「ひぐらし」については製作側は問題ないと判断した。何かと叩かれる話題の作品において製作者の表現の自由は阻害されてない。てことは、世間が気にするような領域でゲーム業界のエログロ表現は上手いこと住み分けができてて、ジャパンの表現者にとって本質的な問題でなく、レーティングや禁止表現についてはどーでもいい。日本文化って、いつでも、そーゆー感じなんだろーな、と。