白い血が飛び散ることの反倫理性について

 うーと。このhttp://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080901へん。ダラダラ付記。

『「おもしろい」のゲームデザイン』については、話がどんどん飛んでくので理屈を引き出す素材としては弱いと思うけど、後半になるほどこっちの感覚から外れてくので、洋有名クリエーターとの感覚の落差を知るにはいいか程度に。あーあと『異星の客』の文庫解説にあった「指輪物語と並んでヒッピー文化のバイブル」てのが「まさかぁ」て半信半疑だったのだけど、この本で出てきて「うあーホントにハインラインの用語で何かを語ろうとする人がいるよぅ」みたいな驚きが大きかったかも。個人的には、あの単語がゲーム語りに使用できるとは思わないのよね。そーゆー意味では、最初からズレがあるかも。

 Fateの「倫理」は、たぶん、フォロワーにその「倫理性」の継承を要求できるんだろうか、てのが問題。や。倫理とゆーのは、作品の外への影響との兼ね合いなのだから、本来なら一作品の話で完結しないのですよ? だから倫理を引き出すなら条件を付帯させて欲しいわけです。「グダグダに長くなければ、この倫理性は維持されえない」というように。

 で。

 リアルな話題に即するなら。今どき、ゲームについての倫理の話は、そーゆー残虐や血しぶきの話より、DSの「大人の○○トレーニング」の類のヒット(社会の常識や知識の継承維持の一部をゲームが請け負う)や、あるいは

アメリカ産のFPSをプレイする人にとってはすでに常識に類することですが、近年のアメリカ産FPSは中東ゲリラ軍vs欧米先進国のどこかの軍隊、みたいな設定がやたらに多くて、これって、イデオロギーの再生産装置として機能してるんじゃねーの?みたいな話でもあります。
http://d.hatena.ne.jp/hiyokoya/20080901

 を巡る話のほうが、コンシューマの業界の人たちにとっては近しい話のはずで。でも、そっちは多分、「CEROの管轄外だし、どうせ言っても無駄」みたいな空気が流れてるっぽく見える。

 本当ならね、血の色を白くするという仕様は「現実の血の色を再現していないがゆえに反教育的であり反科学的であり反リアリズムであり、それゆえに反倫理的である」とゆー意見もあるはずなんだけど。あの場だと、そーゆーの出てこないデスよね。

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WHY SO SERIOUS?