いたる絵の話

 プリホリのそれは安易に全身像を突っ込んでみた程度の画面構成で、ビジュアルノベルの系譜の「立ち絵」からは遠い。昔ながらのアドベンチャーの画面構成を採用した際に、ゲームプレイ的な操作がない内容で画面下3割の部分に表示される文章を読ませるだけでは間が持たなかったのを、強引に辻褄を合わせるために「立ち絵」採用、というように見える。

 では恋愛ギャルゲーで「表情」が豊かに表現されていたかというと、これは怪しい。乏しい顔パターンというか、表情のパターンなど大して設定されず「立ち絵」が一種類しかないものも多いような状況下、ユーザーが多層的な含みを引き受ける「表情」を見出したというのがおそらく正解であって、先日に述べた遠野美凪にみられるような表情パターンの微分化は、むしろそうした流れをメーカー側が過剰に読み取り「立ち絵」についての解釈を後付け的に当てはめていった、いわば恐竜化した進化状態での産物とみなせる。

 表情パターンが笑顔や泣き顔などの数種類ほど用意されていることと、ユーザーがロリ美少女顔に表情を見出すこととの間にはズレがある。ただそこにある顔に用意された物語はない。その程度には「顔」は根源的だ。一方で笑顔や泣き顔といった感情に結びついた表情は規定の物語と結びついている。

「内面を表現する上で、最も簡単で効果的な手段は、顔の表情を描くことです。もともと少女まんがでは、多くの場合目が大きく描かれ、表情の描き方には繊細な注意が払われてきました。とくに七〇年代に少女まんがは、内面というものを重要な要素として表現し、新しい境地を切り開いていった歴史があります。そこでは、作画上「顔」が大きな役割を担っていました。
 七〇年代から八〇年代にかけて、男の子たちも徐々にエッチまんが的な「体」という文脈から、恋愛まんが的な「顔」という文脈へと移動していきます。裸という「体」ではなく、表情という「顔」に「萌える」ようになってくるのです。
 それは、女性を肉体的に征服したいという欲望にとどまらずに、内面的にも征服したいという欲望にほかなりません。だからそれは、「内面」と「肉体」のふたつを絵という記号の世界に持ちこむことで混同させて「肉体を征服することにより内面を征服する」かのようなエロまんが的表現へと、自然に展開していくのです。」(前出『<美少女>の現代史』P148)

 違う、と書いて続く。