萌えキャラと表情の話

 えーと、

http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/7b7ea22a02ce2f37822aa8010e8c2af8

 について書かなきゃと思いつつ放置しっぱなしの件。割と面倒な話なのですよ。とりあえず、

>メッセージウィンドウ横のキャラアイコンって、そもそも元は立ち絵ケチるための苦肉の策だった気がする。

 これは多分ちがう。一枚づつ書くならともかく、立ち絵の表情差分を顔と本体の合成で作るのがそんなに大変とも思えないし。

 例の「永遠の現在」の某記事を読んでるものとして続けるけども、じゃあ何で「立ち絵」と「キャラアイコン」という使い分けが出来たかというと、2000〜2002年ごろの直近の理由としては「純愛路線」の「キャラクター重視」から「ストーリー重視」への移り変わりの流れで1シーンに複数のキャラクターが常駐するのが当り前になり、ヒロイン以外の登場人物が多く登場し、また視点人物・男性主人公もその中の一人として客観的に見られるような立ち位置に移行したから、というのがひとつ。目の前の一人だけを見てれば良かったナンパゲーからシナリオが逸脱してった。

 んじゃ、そのときに何で「立ち絵」と「キャラアイコン」で異なる表情を同時に表示するという事態が発生したかというと、これは製作メーカーの意識において「立ち絵」は「表情を見るためのもの」ではなかった、というのが一つ。それじゃ「立ち絵」て何かというと、近いのはプリメとか育成ゲーの立ちんぼポーズ、つまり顔の表情じゃなくて、ゲットする・弄る対象としての身体つまりは「キャラクター」を見せるのが主目的とみなしうる。プリホリ以前では、例えば「このはちゃれんじ!」なんかは立ち絵とアイコンの表情が違うんだけど、これはプリホリと違って然程は気にならない。ことみようじのキャラデザとして、顔の造作がべっかんこうほどに「萌えキャラ」的でなく、極端な感情を示すときはデフォルメ顔を多用したりしてるのもあり、「立ち絵」と「アイコン」は別物として意識され異なる表情が並んでることに強い違和感を感じない。ちなみに荒川工つながりで言うと次作の「ぼくらがここにいるふしぎ」では「立ち絵」を排除しキャラアイコンだけの演出を目指すことになる。

 ところが、最大の問題がここで出てくる。そもそも「立ち絵」に「表情を見出す」ようになったのは、どういう文脈によるものなのか?

 続く。