貧乏

 ギャルゲーを槍玉にあげないと肯定できない程度の理路でしかアニメを見れない人たちは置いといて。

 アニメ第一期の『ToHeart』では、志保の他にもう一人あからさまなフラレナオンがいる。雛山理緒だ。

 PC版では、そのシナリオの短さ、イベントCGの少なさ、神岸あかりルートを読んでからでないと出てこない隠しヒロインという扱いから「おまけキャラ」「未完成ルート」として微妙にハブにされ(開発時の名前が浦科理緒(裏シナリオ)だったりする)、PS版ではライターを変えてシナリオ完全リライトされたキャラクターである。

 なぜ理緒がアニメ版で失恋話担当になったかといえば理由は簡単で、PC版でのキャラの特徴付けが「以前から主人公の浩之のことを好きだった」「貧乏」ぐらいしかなく、「貧乏」のほうの特徴を削ったために「浩之が好き」だけが原作から受け継いだ特徴として引き継がれたためである。

 アニメで理緒は浩之への思いをふっきって家族の元へ戻る。家族、である。ちなみにPS版のレミィでもPCでの「思い出すイベント」をこなす代わりにレミィの家族登場イベントに差し替えられたりする。青紫シナリオ考察においては家族がキーワードだ。つまりヒロインに物語的な負担をかけず実体を与えるために家族が要請されるのである。なによりもキャラクターありきなのだ。

 徹底してキャラクター本位で構成された青紫シナリオだが、理緒のHシーンについては多くの人が口を閉ざし黒歴史として扱われる。要約すると「私は貧乏だからお礼に差しあげられるのは私の身体、貞操しかありません、だから抱いてください」といわれて抱く、といった展開である。つまりコストの話だ。
 理緒シナリオは極端に短い。その短さは「主人公を最初から大好きでいきなり告白してきて」「物語的負担を回避するために家族を登場させてヒロインキャラクターとしての実体を与え」「貧乏だから他にやることもないしでセックスする」という、これ以上ない完璧なコストパフォーマンスによって達成される。
 理緒の失恋はコスト問題の上に生じている。では、なぜコストが問われなければならないのか。簡単な思いつき解答としては「恋愛資本主義から逃げコスト節約を求めたプレイヤーの欲求に応じるため」なんてのを思いつくが。

 言っとくが理緒は好きな相手とセックスできて幸福だ。それを黒歴史扱いするのは何故だ?