ツアーオブザソーラーシステム

>ギャルゲーのアニメ化はわりと必然的に、女の子の失恋モノになります。わりと。

 逆だけどな。本来なら成立しえない恋愛が成立する唯一点のみがギャルゲーの力であり。世界を革命する力をそんな簡単に捨てちゃっていいんだ。

 いや通常のドラマがその内部的必然性と力学に従うのは、別にまあ、そーゆーもんですねという話でしかないんだけど。

 じゃあ、何のためにギャルゲーの、その恋愛部分を題材にとるのか、て意味まで含めて問うなら、その物言いを引用するのは微妙な話。とりわけ志保を例に持ち出してるのは微妙に反則です。ゲームの志保自身のシナリオが失恋要素も引き受けてるボーダーライン的な話で。「アニメ化したから失恋物になる」てな物言いとはそぐわない。つうか志保は世間的な物言いに従うならKanon月宮あゆに近しい。志保の夢としての学園世界。しかし月宮あゆの通う学校と違い、東鳩の学園はゲームでの時間が終わってもなお終わらないし崩壊しない。

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 まーそんなとこかー。

>よくはない。
>よくはないけど現実はゲームじゃないわがままにリセットできないからねえ。

 あー。「革命」ときいて「リセット」と直結しちゃう短絡回路をばら撒いちゃったのが元長信者や東さんの残した最悪の遺産ではあるなあ。

>『tt』に関して言えば世界を革命する力のない人間を描くための逆説。『D.C.』についてもほぼそうなんじゃないかしら。

 ゲームのDCも中途半端にメタ入ってるんだよなぁ。すぐショートしちゃうような言い訳回路を仕込むから調子に乗る連中が出て来る。そういう意味では「ギャルゲー」もまた恋愛をまるで信じられていない時代であったな。バ鍵のノベルエロゲーに与えた悪影響たるや全くもって。

「世界を革命する力のない人間」なんかいない。それが恋愛ゲームだし。あーまぁ、ギャルゲーを買う金もない貧乏人には開かれてない、て言い方は可能かもしれないが。そこんとこは雛山理緒の話を次にするから。

 高学歴組が恋愛を否定したがるのは、まぁ古来からそーゆーもんだんだろうけど。俺も高校生の頃は「少女漫画は好きだが恋愛は嫌いだ」とか言ってたし洗練された文脈には及ばないながらも恋愛嫌いの感覚は理解出来るつもりだが。下々のお遊びにツバひっかけて何か得られた気になるのはどんなもんかと思う。別メディアで作られたら別物、て言っておけば済む話だ。