一緒にイク 続き

 一緒にイクことを要請する際、三人称の採用で解決する道がある。実際、グラフィックを援用できることもあり合理的な解決と言える。

 三人称を採用すると性描写が本番寄りから視姦寄りにシフトし、しばしば画面や文章からの男性排除が進む。視姦であるにもかかわらず本番という形式に拘ることで描写が女性の肉の内側に向かい、結果的には女性の心理に寄り添った三人称が採用され犯される側の女性が実質的に主人公化するが、形式としては男性による女性の征服が達成されている。もちろん征服と同化は同じことで、人格を作っとくと「征服」になるという話。

 このへんの話は堂々巡りなのでさておき。

 人格単位での括りは、自慰のオカズとして提供される抜きゲでは十分な拘束力を持ち得ない。大きいほうも小さいほうも揃って物語など必要とされていない。小説の読者だろうとゲームのプレイヤーだろうと一般に文章の読者として想定されているのは禁欲的な態度の受け手であり、溜まって性欲が昂ぶり利き手と下半身の運動に気をとられている者ではない。

 まずは人格を排除して考えなければならない。そのための幼女だ。無垢というより無知であるようなもの。うつわでありえないもの。最初から最後までセックスしているだけの領域から文章を見つけていく。

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 念のために書くが、リアリズム路線に走らないなら幼女じゃなくていい。