一緒にイク

 中出しと外出し。

 外出しを表現として成立させてった根拠がアダルトビデオ由来(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%94%E5%B0%84)として、おそらく中出しも外出しと同じ根拠で成立してる。つまり精 液の描写が性行為の表現上で非常に強い意味を持つ点では、局部を隠すのといわゆる「汁描写」との相関関係の枠組みに中出しも組み込まれる。

 というのは、エロ作品で強 姦された女性が、さらに中出しに対し「膣内はダメェ! 赤ちゃんが出来ちゃう!!」という叫びをあげるという様式の定着率から見ても、中出しと強 姦が当の女性において別々に認識されていると思われるからだ。実際の女性が精 液と妊娠の関係をどう把握しているかは知らない。もしかしたら多くの女性が実際に強 姦されるとき「処女膜が破られるのもショックだけど中出しはもっとダメ」と言ったり考えたりするのかもしれないが、とりあえず「危険日はコンドームかピルを使わないと中出ししなくてもヤバイ」ぐらいのことは考えてると仮定する。

 少なくとも僕の感覚では、強引に処女を奪われてみたり暴力を振るわれてみたりと一般レベルで要求される貞操観念において相当なショックを受けて自失している状態として描写された女性が、相手の中出しにあたって明瞭な意識を回復して「中はダメ!」と意思表示するのは様式美の領域に属する。

 では様式美だとして、その様式が成立する根拠は何か。

「男女が性行為で一緒にイク」ことの変化、応用形ではないか。

 相手の精 液が膣内で出されることを理解し感じとる女性の意識、しばしば採用される「いやああああっっっ!!! 出しちゃダメェェェェ!」「出てる……出ちゃってるよぉ……」等々の派手なリアクションの根拠は、実は「お互いが通じ合っている瞬間」をテキストに求めるプレイヤーの要求ではないか。

 今さらだが確認しておきたい。個々人の人格が確立していると仮定して書かれる領域からは、男女二人が通じ合っていることをダイレクトに提示するこうしたエロの領域は原則排除される。セックスの瞬間あっさり主役の二人が通じ合ってしまうわけにはいかない。

 だとすれば、かつての視姦的な態度を強くとってきたエロ描写ならともかく、本番重視が定着した後の「抜きゲー」のエロシーンでは、エロシーンはそもそも文章の原則から外れ前後の文脈から浮くしかないことになる。