続き

 つーことで、「普通の魔王と勇者の物語」があってそれを参照にしつつ変奏している作りであると仮定した場合、魔王勇者の話というのは、せいぜいが「勧善懲悪をリライトして勧善懲悪」だろうが「啓蒙主義を語りなおして啓蒙主義」だろうが、いつもの異世界ファンタジーな魔王と勇者のお話であるというだけであり、それは現実世界じゃないとこで魔王と勇者がいることがどうやら自明らしいと読める段階でそーゆーものだと判ってるのであって、つまり「魔王」と「勇者」の会話であることは揺るぎなく示されてるので、了承済みとみなすのが妥当と思われる。奇妙なメッセージを受け取ってしまう人が大勢いたのかもしれないが、それもまたファンタジー小説ではいつものことだし、ことさらに今回だけ盛り上がる必然性は見出しがたい。

 そんな感じで、「高貴な野蛮人」だけを抜き出すというのは、「現実世界じみたファンタジー世界」を発見しちゃってるなぁ、と類推される段階で、相手の土俵に乗っかってる。もしくは、自身の「啓蒙領域」に引き寄せてる。ぜんぜんDISになってません。

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 で、そんなことより、なんで今回、そんなふうに何も代わり映えしない「いつものやつ」が、こんなに盛り上がってしまったのか、である。あるいは、魔王勇者の、何がそんなに受けたのか。そっちのほうが興味がある。

 ちょっと面白いので、引用してみる。

>まおゆうほどRPGっていうものを馬鹿にした物語はないわけでさ。逆にこれが流行るってことは、みんなそこまでRPGを馬鹿にしていたんだなぁということまで分かって、ちょっと悲しかったモノ。
http://togetter.com/li/22213

 いや、そんなにバカにしてることになるんだ、という。

 なんとなく同族嫌悪の気配もしなくもないが、それだと話が止まるので、ここで、僕としては、「勇者が魔王を倒すRPG」というのと、その「RPGのシナリオ展開に依拠した勇者が魔王を倒す物語」を、分けて考えてみたい。

 なぜなら、やはりまずゲームというのはひとつには「それぞれの物語」があるのであって、「勇者が冒険途上で力尽きて倒れる物語もまたRPGの語る物語」みたいな話があるからだ。そして、そうしたRPGの語る物語というのは、しばしば、RPGをプレイしているプレイ体験の外側に持ち出すことが困難であるだろうからだ。ウィザードリィでの冒険を物語化しましたといったところで、限界はある。ゲームプレイ中でしか思考に上ってこない、身体化されたゲームルールにより導き出される心理の流れを追うのは、難しい。

続く