召喚魔法と異界の越境と その12

 RPGに即したシナリオを展開していったとき、「父」や「母」はHPを持ちダメージを与えられる形でしかそのリアリティを獲得しえない。そうした数値による対象化を避けようとすれば画面にもシナリオにも登場させられなくなる。数の物語は常に横並びの共同体を組織する。

 こうした横並びの職能共同体への志向において、縦軸の系列は次第に不可能性の領域へと押しやられていく。歴史と未来が別枠で語られるのと同様にして、夢の世界や異世界という形でファンタジーの世界が手の届かない領域に位置づけられ、ファンタジー世界の有様が詳述されるほどに相互の往来は困難になる。

 そうしたRPG志向の世界描写に対し、異界との往来を維持し続ける態度を表明し支持を得たのが結果的に見て『 To Heart 』のマルチに代表されるノベルゲームのムーブメントであり、それを積極的に見出し推し進めていった代表例が「とらいあんぐるハート」「リリカルなのは」の都築真紀だったと言える。この路線はしかし、異形に寛容な共同体を肯定する一方で、そうした共同体の防衛と、その共同体の「続きえなさ」に軸足を移しているように見える。
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20061126
において、外部への容赦のなさを指摘した『わんことくらそう』だが、そこにおけるヒトとヒト以外との生活共同体の結末、ヒトガタ犬みかんは明らかに天上の存在として神聖化されている。つまり、ラストシーンのイラストでは、みかんのアホ毛は「天使の輪」に見えるように描かれる。これ見ると声が喉に詰まり机に突っ伏して泣く。

 今も泣く。続くかどうかしらん。