続き2

時間が巻き戻されると殺人事件の犯人だって変化するかもしれない、という可能性に作者側が気づいたために用意されるのが「強い意志で行われる行為は高い確率で起きる」、すなわち「動機」によって事件が起こされるという動機主義的な設定。これが言及されるのは6作目になってからだが、これが後付けの設定であるのは明白だ。8作目のTIPSにて明かされる1年目の殺人事件は偶発的要素が強く、強力な意志や動機で形作られた必ず起こる事件とは言いがたい。現場には複数の人間がおり、誰が被害者・加害者になるかすらも不確定のままと言えるなど、「5年連続で必ず起きるオヤシロサマの祟り」の一発目の役割を果たすにはあまりにも不十分である。結果的に出てみたものからすれば、殺人事件の裏で暗躍する組織の黒幕を名指すためだけに、動機主義が採用されたのだ。

時間が巻き戻るのが連続殺人事件の5年目の直前であれば良かったのだ。キャンペーンシナリオ開始の日付まで時間を巻き戻すよ、と。
それが「暇潰し編」で梨花の「予言」のために殺人事件発生よりはるか以前まで時間を巻き戻している設定に舵をきったため、確定事実であったはずの5年連続殺人事件が、確率論まがいの字句を労さなくてはならない不確定事象の範囲に飲み込まれてしまう。「暇潰し編」を書いた段階では、そこまで配慮できなかったのである。では、そこまでして「5年前」を語らなければならなかった理由は、予言のために駆けつけてくる助っ人、赤坂を出すために他ならない……のだが、作者は解決編で赤坂を活躍させるのを躊躇する。赤坂が結局最後まで事件解決では精神的支柱でこそあれ微妙にいてもいなくても良い役割であることからも、「暇潰し編」は作者サイドが本当に予定していなかったことが伺われるのだが、では赤坂の暇潰し編導入時に予定されていた役割は何であったかと考えると、これは8作目「祭囃し編」での富竹の役割であったろう。4作目の段階では富竹は主人公サイドの駒として設定されていなかった。その理由は、5年連続殺人事件の枠組みに作者サイドが囚われ富竹を殺人事件の被害者としてしか見ていなかったため、と考えるのが妥当だ。まとめると、シリーズの終幕を当初の予定から変更して8作目の現在の形にするために導入されたのが4作目「暇潰し編」であり、赤坂はその大幅路線変更の過程で不用意に投入され宙に浮いてしまったのである。