行って来た。

id:ityouさんが発表者になっててびびった。おまけ発表みたいな形で笑いをとりつつJuulの定義に反論してたけど、発表の手際が良すぎたのかそのへん無視されてた。うーむ。
一応行く前に自分でJesper Juulの定義の代わりの定義を考えていって、それに即してid:hallyさんに質問してみたけど今ひとつ上手く伝わらなかった。
質問は、
 
1、今回の発表では「ゲーム」と「遊び」の使い分けをしているのか?
2、一人で遊ぶゲームと、複数人数で遊ぶゲームは分けて考えるべきでは?
3、ゲームとゲームでないものの区別は実際にプレイしないと確認できないと書いてるけれども、観客から見てゲームになってると思えばゲームと言えないか? 例えば、プロスポーツ八百長試合とか。
 
以上の三つ。
えーとこれはまず、海外の「ルドロジー」の考え方では「ゲームGAME」と「遊びPLAY」をサクッと分けて考えてるっぽいので、その言葉の使い分け方に従って遊びやゲームの定義を考えると、
 

  • 遊び:主観が同時的階層的に二つある、という状態。説明めんどくさいので、要するに「僕は今遊んでいる、楽しいな」となんとなくわかってる状態、ということでひとつ。当然、遊んでる当事者の主観だけが決められます。
  • ゲーム:遊びの当事者じゃない人が外から見て「あいつら遊んでる」と見える状態。さらに拡張して、それを使用していたら遊んでる以外ありえないと思われてるような使用方法が非常に限定された遊び道具も指す。
  • ルール:遊びに参加してる当事者が二人以上いるときにのみ必要とされる、一緒に遊ぶ相手の行動を規制して他者性を奪い、遊びの中の一要素に換算できるようにする道具。自分の行動を規制するような使い勝手の良くない道具ではあるが、使うか使わないかは自分で決められる。(バレなければズルしちゃえ?)

 
のように、言葉を定義できるだろうと思って。
「遊び」はまあ、究極に原初的なものだろうと。自我の源泉、ぐらいに捉えてるんだけど、例えばJuulの検証でも「安全性」やなんやかやが配慮されてるところに注目して、「安全」<>「不安」の対比で考えるなら、不安によって存在が生じてくるていうハイデガーの向こうをはって安全によって遊びが生じるていう言い方したっていいんじゃないかと。
「ゲーム」は、「遊び」と切り離されるなら形式的なものとなるだろうから、それは外見で「ゲーム」と決められてしまうもので、でも「遊び」が当事者の主観でしか出てこない以上、「ゲーム」は「誰かがそれを指してゲームだと言えばゲームである」ぐらいのノリで。例えばコンピューターゲームは、ゲームマシンを使ってTV画面に向かっているプレイヤーを見れば「こいつ遊んでるな」とわかる。一方でJuulの定義論でプロスポーツ選手のスポーツはゲームか? という疑問提示があったので、ゲームという外側を持ってるから「遊び」じゃなくても「ゲーム」なのだ、と言える。てことは、八百長試合でも、そうと知らなければ観客にとっては「ゲーム」だ。
「ルール」については、一人遊びのコンピューターゲームにあるのは「システム」だけであってプレイヤーの主観的には「ルール」というのはあまり意識されないから、例え複雑なコンピューターゲームであっても一人だけで遊んでいる以上は「ルール」という言葉は適用しない、とすると整理しやすいだろうと思ったのだ。なので、今回の発表の題材の「ミニマムノミック」はコンピューターゲームにできるのか?と質問してみた。人工知能で出来る、というような回答だったけど、一人遊びのプレイヤーはコンピューター相手のミニマムノミックを楽しめるだろうか、まるで別のプレイ感覚になるのではないだろうか。で、ミニマムノミックやってる風景見てて確信したんだけど、全体に適用されるルールの提案って自分を対象にするというよりも、他のプレイヤーを規制するほうが主目的だよね。
あーつまり最終的には、ルールを使用することで多人数ゲームもプレイヤーから見て一人でプレイしてるのと同じになって、主観だけで全体を把握できる状態になり、そこで「遊び」が生じる、みたいな。
 
まあ、言葉遊びと言われたらそれまでなんですけど。要するに、外見での一律の定義できなさに悩むんじゃなくて、「どう定義できないか」を定義する、というのは有効じゃないかと思うのだ。