むかしばなし・RPGの広まりかたなど

初期のRPGの説明の時に「漫画や映画、小説で“僕ならこうするのに”と思ったことはありませんか? RPGならそれができるンです」という語られ方が多くしてた
http://d.hatena.ne.jp/D16/20101208

そのへんについては、みんな、いろいろ、痛い思いをしているはずなのだけれども。
うーと、まあ、「RPGってのは何でも出来るんじゃないかよキィキィ」とゆー人が、やっぱり、いたわけですよね(いたでしょ?)
自分がそうじゃないかつーたら、やっぱり、そうだったわけでしょ。
どうしても「思った通りの「ちがうこと」が出来る」のところに重点をおいて、紹介されたから。

特に、多くの人が、ゲームブックコンピューターゲームに先に触れて、ゲームブックの解説や、コンピューターゲーム関連の雑誌の記事から、「RPGというのはゲームブックより発展していろんなことができる」とか「コンピューターRPGよりもっと発展的なことができる」とかいった惹句とともに入ってきただろうし、「漫画や映画、小説で“僕ならこうするのに”と思ったことはありませんか?」というのと同じかそれ以上に「ゲームブックコンピューターRPGで“僕ならこうするのに”と思ったことはありませんか?」という気持ちで入ってきたはずで。
そこで気にかけなきゃいけないのは、漫画や映画、小説だと、選択肢とか分岐とかは存在しないから、そもそも「僕ならこうするのに」という具体的な思いには至らなかったかもしれないけれども、ゲームブックコンピューターRPGだったら、既にそこに選択肢があるから、具体的イメージとして「え、ここであのアイテムを使うんじゃないの?」といった「別の選択」が思いつきやすいといった、「RPGに近しいジャンルと、RPGとの違い」が、RPGのプレイヤーの意識の形成にあたって割と大事だったんじゃないかな、ということ。

てのは、「RPGってのは何でも出来るんじゃないかよキィキィ」とゆー人と同じサークルに「なぁなぁ、ちょっと新しいゲームを作ってるんでテストプレイにつきあえよ」とローズ・トゥ・ロードのテストプレイをやらされてた先輩がいましてですね。二人は仲が悪かったんですけれども。先日ちょっとその話になったとき、その先輩からすると、そもそも「RPGってのは何でも出来る」とゆー彼の言い分が、全く理解できなかったというんですね。
全く何の前知識も持たないまま、日本初のRPGをやる羽目になった人においては、RPGってのはゲームのルールとマスターのサジェスチョンとに従ってシナリオをうまいことプレイしていくモノ、という、ごく当たり前の意識しかなくて。だから「僕ならこうする」のような惹句とは無縁だった。こだわるようなところじゃなかった。だからまぁ、「何でも出来るんじゃないかよキィキィ」というのは単に思慮の足りない、何を言ってるのか意味不明な奴でしかなく。んで、あたしが上記のような「俺ら、こーゆーかんじで勧誘されて入ってきた世代なんですよ」と説明したら、ようやく納得してくれたという。

オチは特につけません。