見かけたので。

・モバイルSNSゲームが儲かる本当の理由。かーずSPはなぜ15万もつぎ込んだのか?
http://togetter.com/li/255073

この話の、まとめてる人の「主張」にあたる部分は、

大前提としてSNSゲームはショボイゲームでも儲かるって思って特攻しないほうがいいでしょう。こういうふうに、まず金か版権でもあって、人を流入してってところが無いとキツイ

で、これを別の言い方でいうと、

・有名企業の方法論を真似するのは難しい
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20120124/disneypartime

と、なります。

広告を大量にうつから成立する商売だよ、という話ですが、僕らが気にしなきゃいけないのは、これらが「ゲームを理論で語ろう」という動きの周辺にある、ということです。

コンピューターゲームというのは総体として成り立ってるモノで、本質をつかみとるのが困難な部類に入ります。突っ込んで言うと、元からあるトランプや囲碁将棋などのゲームの話と、コンピューターのAIのたぐいの話と、表現技術の向上による疑似物と疑似認識、それらについてまわる人間の錯誤の話などが(他にもイミテーション元の様々の要素も)混ざり合ってるものですが、その混ざって判然としない場に、「ソーシャル」、社会性というやつが入り込もうとしている、という話です。

ゲームの話だけしてる分には、語れなくても誤解してても中途半端でもいいわけですし、混ざっていても問題は起きないわけですが、僕らはこれから、学習分野に生かそうとか、社会活動と関わり合おうとかいう、様々な人たちに囲まれながらゲームまわりの話をするはめになります。

それは、「ゲーム技術」が、実際にどの程度まで実証的に有効であるかという話より、過度に喧伝される「ゲーム技術の効果についての話」が、逆に意味のない規制を呼び込んだり、実効性のない技術が採用されて、政策的な錯誤まで呼び込んだりするんじゃないかという危惧のほうが、今後、問題になってくるんじゃないかという話です。

たとえば、ゲームに効率的、効果的な学習効果があるのなら、差別表現は徹底して排除しなければ、差別意識が学習されてしまう、という話になります。倫理規制は法制化しないといけない、となるかもしれません。規制推進論者がその気になれば、ちまたのゲーム評論でも漁ってくれば、「ゲームがプレイヤーに強い影響を与えるという大多数の意見」なんぞ、いくらでも作れます。そして、日本における規制というのは、まあ、規制委員会に天下りが下るため、ぐらいの理由で簡単に作られてしまう代物です。

そういう規制推進の意見に対して、ゲームの論者の大半は有効な反論はできない。だって、今までがゲーム表現、ゲーム技術の偉大さを語ってきたんだし。言えるのは感情的な「表現の自由を守れ」コールぐらいで、それも、「ある程度の規制は仕方ないよ」と個別撃破されておしまいになるぐらいの、曖昧な態度しかとれないでしょう、と言えます。

だから、「ゲーム技術の効果」てのは、このぐらいの効果であって、ソーシャルゲームが儲かってるのはまず金で人を集めてくる力だよ、最初に広い間口を用意してあることのほうが大事だったんだよ、という「技術の力のほどほどさ」を提示しておくという、当たり前の作業が大事になってくるんじゃないでしょうか。技術屋からしたら当たり前ですか? でも、仕事が欲しいから、素人に細かい説明するの面倒くさいから、過大な物言いを放置してたりしません?