本当に、おはなしからしか語れないのですよ

>ゲームの中で物語性に絡まない部分であっても、いくらでも批評的な話はできたはず
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20080421

 このへんは、後からだから言えること、の範疇で。

 てのは、ちょっと想像すると判ると思うけども、ノベルゲームほど「システム」がブラックボックス化せず、剥き出しになっているものはない。大概の人が「システム」の全容をあっさり把握できてしまう。その、実に日本製らしからぬアカラサマさ、否応のないダイレクトな機械的処理に対する反応が、あの「批評」を呼び込んだので。あとは、それをボカすだけなのですよ。

 一方で、それなりに文法(攻略テクニック)を習得しないと読み進めることができない「システム」というのは、その複雑な過程において外と切り離されてる。で、そーゆー「システム」の内側に外部性を持ち込むために使われるのこそが「物語」であって、結局のところ、それなりにゲーム性を確保してる「システム」に対する外部性というのは「物語」を経由したものでしかありえない。そこで批評的に眺められる「システム」というのは結局のところ物語だ、ということになる。

 もちろん、それぞれの学問はそれぞれのアプローチでゲームを語れるし、むしろゲームはそこでは学問にあっさりと回収されるもので、コンピューターゲームの固有の場を確保できるようなものではない。