規制のやつ。

 エロゲは、他のエロジャンル、例えば官能小説やエロマンガとは微妙に空気が違っていて。前にjudgement1999とゆー人がね、90年代エロゲ全盛期てのはPC98筆頭に何十万もする機械を使っているという時点で、既にして「ある程度以上の金を持ってる中流層以上」じゃないとエロゲはできないのであって、そのような文化圏だ、という趣旨のことを述べていてですね。

 や、さほど金がない家庭の子でも、やっぱコンピューターというコトバの輝きで多少無理してでも買うって割とあるよ(それで場違いにも上流階級な人たちのサロンたるエロゲオタ文化圏に紛れ込んでしまった結果、生き方を見誤って閉塞に陥ってく可能性は否定しない。つか、実例っぽいのも見かけるし)、とは思う。おいらの386機は後輩から下取り価格で譲ってもらった7万円ぐらいなもんだったし。中古でギリギリ追っかけるなら、なんとか捻出できなくもない。てのはさておき、そこまで金持ちばっかじゃないにしても、普通のエロ物件と単純に比較は出来ないのは確かで。

 個人的には、それは「価格帯」というよりか、コンピューターゲームという「時代の最先端」だった代物にまつわるプライド、のようなものじゃないかと思っている。

 たとえば、エロゲの業界団体や流通が微妙に中途半端つーかアッサリ規制を受け入れる感覚の根拠は、動く制作費や制作期間・販売形式の問題もさることながら「エロが多少規制されても、ゲーム性やシナリオ、技術部分というのもPCエロゲの魅力なのだから/俺たちの持ってる能力なのだから大丈夫」のような、逃げる余地、言い訳できる場所が、彼ら(作り手もユーザーも含めた文化圏としての)の脳内に残されていた、そのあたりに出自が発見できるのではないか。

 エロゲは総合芸術、などという正気を疑うような物言い(総合じゃない芸術って一体なんだ。今どきアートと名がつくもので越境や組み合わせに当てはまらない代物なんかないだろうし、音楽と絵と文を組み合わせてみました程度の意味合いだとしたら、傲慢にもほどがある。音楽や絵を何だと思ってるんだ?)の人が複数いるというのも、そうした、口には出さないけども心の片隅においてある安心の種〜エロゲには様々な魅力があるからエロが切られても大丈夫〜に寄りかかってるのではないか。

 さらに言えば、そのエロゲの根拠のない自信の出所はコンシューマー業界でのCERO規制で見られるような、「ゲーム」という代物の扱い方に酷似している気がする。「ゲーム」であるがゆえにエロゲはああも能天気に構えていられたんじゃないか。