『廻り巡ればめぐるときっ!?』(キャラメルBOXいちご味)

1年以上も前にプレイしていて、空美シナリオだけはガチで気に入っていたのだが、しばらく放置してるうちにタイトルを思い出せないでいる自分に気づいたので備忘録の意味合いとして感想を。

まず本作品は、ネットで漁った情報によると企画・メインライターだった人間が逃げ出したらしく、発売前情報とテロップで流れるのと、シナリオライターが違っている。ライターが逃げたなんぞ今さら目くじらを立てる話でもないが、なぜ逃げなければならなかったか、逃げて丸投げされたあと、どういう代物になったかについて憶測で書き付けておく。

本作品は、最近のエロゲにありがちな構成だが、いわゆる共通パートで引き起こされる事件と各ヒロインごとのシナリオで描かれるエピソードとは、殆ど繋がっていない。共通パートで活躍するのは、おそらく男性主人公の鏡もしくは先達としての役割を与えられたムスカ似の中年のオッサンの幽霊*1なのだが、オッサンの引き起こす事件は主人公自身の抱えるはずの物語とも各ヒロインの物語とも全くといっていいほど関係なく、単なる賑やかしに終わっている。進展いっさいなし。

本来、この手のドタバタラブコメ話なら、オッサンの物語の進展に関わり感化されることで男性主人公とヒロインの関係が進展するのがセオリーと思われるのだが、そうしちゃうと特定ヒロインとの関係だけが進展してしまうので、各ヒロインごとの分岐前に特定ヒロインと仲良くなるわけにはいかず、オッサンの物語だけが進んで主人公たちのほうは足踏みし続けることになり、本作品が自身で企画した最初の作品らしい元のメインライターさんは、そのへんで煮詰まったんじゃないかなと思う。ちなみに、こなれたライターさん達は、エピソードの連鎖なんぞぶった切る。別の話を別の話のままくっつけ、そのとき使う接続方法は、学園など物理的な、もしくは常識的範囲内の正義観や倫理観、道徳観などの情操教育的な、既存の社会的枠組みの延長でもって外からキャラクター達の行動をコントロールする。こうした社会的枠組みに寄りかかった形式は、いうまでもなく作品に寄り添った形での個人の心理の掘り下げには読解上の不可視の障壁として働くので、そこに様々な言い訳、たとえば「日常」と呼び習わされるジャンル制約、などが読解の作法として援用されることになる。たとえば麻枝准的な主題としての「日常の尊さ、ありえなさ」などは、作家の資質であるのと同じ以上に、分岐アドベンチャーゲームの形式からもたらされる強制的なテーマであり、そこから離れることを許されない隘路でもある。行き着くところ、語りえぬものとして暗示するぐらいしかシナリオを接続する枠組みから逸脱することは許されないし、強引に離れてしまえば、作家が作家の強権的な立場でもってシナリオをコントロールしていることが丸出しになってしまい、作家性の発露ですね、読者を選びますね(作品を読む前から作者と同じ価値観や世界観を持ち合わせている読者しか受け付けませんね、ここはそういうコミュニティを養う場なのであって、他者との出会いなんてのは他所でやってください)、ぐらいしか言い訳がきかなくなる。他に言いようがない。

現状セオリーとして定着しているヒロインごとに別シナリオが用意されたエロゲにおいて「男性主人公自身の物語」をエピソードの連鎖で引っ張っていこうという行為の、困難さ・不可能性というのは、あえて無視することが作り手と受け手の暗黙の了解になっている。その暗黙の了解をしらず、マンガ作品やアニメ作品あたりのラブコメと同じぐらいのノリで現状の分岐ノベルのシナリオを書き付けていこうとすると、まずもって心が折れる。では、メインライターが折れてしまったあと、残された作品は、どうなったのか。

おそらくメインヒロインであったはずの幼馴染のシナリオは、ほぼ何も起きない。彼女との関係は、上記の「らんま1/2」的なドタバタラブコメ展開で進展していくはずだったので、手をつけられなかったのである。長年にわたり恋人同士にならずに来てしまった幼馴染との関係を解体・再構築し改めて仲良くなるための大きいイベントを原理構造的に仕組めないのが恋愛アドベンチャーという代物であり、その構造を回避するための様々な小技を知らぬまま構成されてしまった本作品のパッケージの中心に位置する彼女のシナリオは、およそ一番ひどい。
同じく、男性主人公がもつ霊力・幽体離脱能力の説明にあたるシナリオも、男性主人公自身が己と向き合うような話にはならない。というより単なる前世話。

ということで、幽体離脱して幽霊や生霊と話せる主人公の能力についてはスルーしておく。つまり「できちゃうんだから細かいことは言うな」で既成事実化しておき、とりあえず、出会ってしまった幽霊や生霊の側の事情が語られるエピソードが骨格となる。枠組みとしては「オバケにゃ学校も試験もなんにもない」という「楽しい日常」と、その解体。ということで幽霊サイド代表の美世子シナリオ、生霊サイド代表の空美シナリオが骨格に準じたシナリオとして土台がしっかりしていることに(結果的に)なり、そのうち、おそらく元の原案・前半エピソードとの兼ね合いにおいて最も<本編>と関係ない、他から独立したエピソードであるところの空美シナリオが、自由に作れたせいかどうか、出来がよかったのだった。てゆか桜川未央の声は好きだ。

空美のよさについて言えば、宙に浮いてる気分が強調されてるのが何より素敵だ、としか言いようがない。現状のノベル系の美少女ゲームの画面構成というのは、背景画像と立ち絵の原理的なつながらなさ(背景から逆算される地面にキャラクターが立っていない)が「そこんとこはスルー」ということで誤魔化され続けたまま、なんとなく成立してしまっているので、空を飛んでいるキャラクターというのは、ただ地に足がついていないのが正当化されているだけでも圧倒的なアドバンテージを持ってしまうのではないかと、これは単なる個人的嗜好でしかないと自分でも思いつつも、考える次第である。

空美は空を飛ぶことの快楽と、宙に浮いたままでいることへの不安とを、素直に吐露してくれる。いや声優さんの演技が優れてるとは思わないが、桜川未央の声でゆってくれるのが好きなのである。\(>ヮ<)/きゃっほぉ。いや違うゲームだが。

*1:女性の乳に異常なこだわりを持つ点が男性主人公と共通している。