化物語 猫後編

ひたぎさんのツンデレ! ツンデレ! ひゃっほう! ここだけ音声切り取って売ってくれたら買う! 他はいらない!

まとめ回。なんか開き直ったように尾石とかゆー人の暴走というか迷走らしきものが延々と。今さらケチつける気にもならないぐらいには慣れたが、見てて眼に気持ちいいものではないというか、見てると疲れる。疲れる以外はもう何もない。リッピングする必要がないだけアフレコ自由度が高いといえば高いんだろうから、声優がある程度まで自分のペースで喋れるんだろうか。そうするとミュージッククリップというか声優トーク中にイメージビデオ流してるだけとゆー進化の方向性なのかもしれないが、その場合あまり眼が疲れないようにして欲しいなー。

いちおう、終わったっぽい。

とりあえず画面から文字を全部なくすだけで、随分と見やすくなると思う。文字を画面に織り込むの自体は、今までアニメのOPやEDでしょっちゅう見てるのと同じで、目新しさは全くない。むしろOPやEDの場合だと、表示しなくちゃいけない文字をどうにかして絵の中に取り込むために、いろいろやってるんであって、つまりは文字の意味を無化するための手法として使ってるのが普通だと思う。

それとは逆で、全く必要がない文字を大量に投入するというのは前にも書いたが下にある絵をグリグリ塗りつぶして無化していく行為で、たぶんスクリーントーンをついつい調子に乗って幾重にもいっぱい貼ってるようなもので、やたらスクリーントーンを貼りまくった時代のサイレントメビウスとか影技とかあーゆーノリに近いのかなーとか。作家性の主張というよか、それこそフォントを取り込んだアニメがいろいろある中で流れに乗っかりすぎて暴走しちゃった、時代のあだ花のよーな。そうすると、以前にスクリーントーンの過剰投入は劇画から萌え絵への転換点で劇画の陰影性だけが萌え絵からはじき出されて浮いちゃって画面上に抽出されたせいじゃないかなーとか考えたことがあったのだけども、化物語のコレもまた似たような時代の転換点で価値観と既存技術の間のギャップがもたらした抽出物なのかもしれない。