ロリコンであるということ

 エロゲにしても、最初から18禁枠がカッチリ決まっていたわけじゃなく、CGポルノを見れるゲームの中身の初期の千差万別さ(1、2枚の雑なドットのヤッテル絵と数行の描写が入ってるだけで客をある意味だまくらかして買わせるようなのも含めて)のみならず、アニメ絵の娘さんが大きな役割を果たしてればなんとなくギャルゲーと呼んでた(ワンダーモモやらタイムギャルやら)程度のところから、画像が鮮明になってPCゲー移植が盛んになったあたりでのレーティング導入というリアクションがあり、単に「ときメモのフォロワー」だったもののジャンル化がレーティングによる囲い込みを受けてメーカーの開発の方向性や受容層の限定につながり…。
 昔の感覚でいえば世界樹の迷宮も「かわいらしいアニメ絵をつかっている」だけでギャルゲーだろうが、いまどき「かわいらしいアニメ絵」を使うことだけでギャルゲーなんぞと言い出すほうが当然ながら時代錯誤だ。そういう絵柄を使えば当然ユーザーの選定に影響を及ぼすが、しかし今はユーザーの選定が見えなくなる程度に文化が十分に住み分けされこの絵柄が覆う範囲も拡大された。エロ漫画といえば思春期を迎えた頃は劇画誌ばっかの飢餓時代から時を経るごとに劇画調はなりを潜め、エロ漫画の写植打ちをやってる頃にはむしろエロ劇画作家の単行本を出すことが冒険になっていた。(つーかエロ劇画全盛のころは作家の単行本を出しまくるもんではなかった)

 ゾーニングもレーティングも、受け手はあっさり慣らされそれに順応していく。もっといえば、Keyの作品を文芸したいクチの人たちのロリコンぶりの露出というのは、ゾーニングされて安全な背徳感が環境として整備されているなかで「おれは幼女に本当に興奮するんだ」と学習してったものでしかなく、「俺らロリコンだけどリアル幼女を守ります」なぞといわれても、その「ロリコン」という態度と自己定義にコミュニティ維持以外の意義があるのかは疑問だ。時代が流れた後、かつてロリコンというコトバで何かを語ってまとめた気になってた人らの雑な発言に、どんだけ共感をうる力があるだろう。

 いったい、性癖や人間の業の描写なぞ、どれだけの希少性があるというのか。やってることは、どこにいっても変わらない。変態性癖は紀元前の産物、人のこころのままならなさも、また。

 本当に守るべきは、歴史上、現代日本にしか存在し得ない、直線と急角度で囲まれ巨大な瞳を配置された、この顔の描き方のみである。失われれば二度と戻らないかもしれないのは、ただ、それだけなのだ。