BLACK LAGOON

 躊躇無く人を撃ち殺す娘さんが見たいなーと思い、ヤクザの娘さんと議論するあたりまでまとめて見た。が、期待ほどでないというか、むしろ消化不良気味。

なんつーか、女の子が沢山出てきて銃をバカスカ撃つ系統のやつ、伊藤明弘とか園田健一とかあのへんと比較してみたとき、当たり前だが一番現代くさいとゆーかギャルゲーぽい。メイドが出てくるからとかそゆんじゃなくてね、舞台が南洋の楽園だったり、あとなんかやたら観念で行動してたりするあたり。

「あちら側」と「こちら側」とゆー分け方が、「生まれついての人殺し」とか、あと「人を殺したことのない大量殺人鬼」とかそーゆーフレーズを思い起こさせるんですよね。ハチワンダイバーで「NYの摩天楼とか思い浮かべて、んでその薄氷一枚の下は地獄」とゆー説明の仕方のときも、ちょっと引っかかってたんだけど。んで、南洋編から東京ヤクザ編に突入するあたり、なんとなくハレグゥを思い出しつつ、さておき、すごく違和感が表面化してきたのだな。

 花屋ってテキ屋さんあがりの系譜もちょこちょこあるので、まあヤのつくご職業の方ともそれなりに関わり合いがなくはないんだけど(関わりが多くない職業というのが具体的にあるのかは知らないが)、んでヤのつくご職業の方とつきあい続けてくために心がけておかないといけないのは、とにかく対等の取引相手として扱うことである、とゆーのが、再三再四教わってきたことで。てのは、そういう方たちは見下されることに非常に敏感だから。そもそも俺ら日本人て上下関係でつきあいを構築してくでしょう。尊敬語や謙譲語なんて最たる代表例ですけども、そんなんはさておき、自分は上下関係でものを見るよう、身体の根っこから出来てるし。たとえば「同情なんかして欲しくない」とゆー台詞の背後にあるのは、上下関係において圧倒的に下の立場に置かれることへの抗議で、そゆ言い方が出てくる時点で、「同情なんかするな」とゆってしまう人は物事を上下関係に捉えてるのである。ヤクザの娘さんはロックに「同情なんかするな」と言ってるはずである。

 なのにさ、ヤクザ屋編でもやっぱり出てくる「あちら側」と「こちら側」という言い方だと、並列的な扱いなんだよね。

 階層的な捉え方と、並列的な捉え方てのは、ものの理解の根本のところの違いだから、そこが食い違ってしまうと話が全く通じないで終わってしまう。例えば僕の場合、階層的な物の見方と並列的な物の見方ってのは相互は独立していて、そもそも対比可能な位置づけにはなりえないだろうという感覚がある。つまり、理解の範疇外だ。しかし並列的な考え方ができる人にとっては、階層的な物の見方と並列的な物の見方は、並列的に語られうる。つまり、相手を理解できないとする立場と相手を理解できるとする立場にスライドしてしまう。この断絶は、えんえんとスライドしてって、どうにも埋めようがない。つっても、日常生活においては、いちおう平等については習ってるから、関係接続を上方向下方向幾重にも折り重ねてやっとこさ這いずるようにしてはじめて、対等であるような人間関係のイメージにたどり着くことで成り立たせてるんですけども。

 んで、彼岸と此岸が、そうしたロジックから外れて接してる場ってのがギャルゲーなので、ギャルゲー的、という言い方になる。

 判りづらいというか、何を言ってるのか理解されないだろうから、まぁ、そういうもんなんです。