@oyomot: RT @saku39sann: 加古 お・や・こ / 咲(サク) さんのイラスト #nicoseiga #im4730160 URL URL
@oyomot: RT @katabuchi_sunao: 81日間のクラウドファンディング最初の24時間が経過しましたが、すでに目標設定額の40%近いご支援をお寄せいただいています。このような形で作品のポテンシャルを示せることは、今後の展開の上でひじょうにありがたいことになるだろうと期待してい…
@oyomot: ドイツは第一次大戦で植民地をすべて失い、失うものがない状態から第二次大戦を起こしたので「第二次大戦について反省いたします」と言えたが、その理屈でいうと日本はまだ1回敗北してるだけなので現状はドイツのワイマール状態なのかもしれんなあ、などと
@oyomot: 「アベちんはヒトラーの再来」については、なんつうかネタではなく実体として、けっこう似てるかもなあ、みたいな気はしている。反共とゆー幻想に執着してる時代錯誤感とか、劇画ヒットラーのヒトラー描写を思い起こさせる。いやヒトラーの当時は反共はリアルタイムの脅威だったかもだが執着度がね
@oyomot: RT @Tshmz: これは事件だ。わずか1日で『この世界の片隅で』クラウドファンディングが750万円突破(目標額2000万円の37%/サポーター569人)。片渕監督らの地道な積み重ねの賜物だろう。●必読URL ●支援URL…
@oyomot: 「結局はすべて「偽物」なのだからこそ、手法としてのリアリズムは、まるきり無視するわけでもなく意識的に見て取らないといけない」という前提の上で、それぞれのお題を取り上げて「いやそこは気にしなくても」なら「何にリアリズムを求めるか(否か)」は意味ある話
@oyomot: 単純に「全部が記号」と「全部がリアリティないとダメ」などという二分法で各々の意見を峻別するほうがむしろおかしい。それぞれが「この主題だったら、より多くの人に訴えるためには、どこに意識を払わないといけないか」を論じてる、と考えるべきなのだが(手法としてのリアリズムなのだから
@oyomot: 受け手の視線をどう誘導するかを考える上でゲームデザインがあるわけだし、それを無視して「なにを気にするか」をゲームとアニメで分ける話をするのもおかしい(アニメにしても意識をどこに誘導するかをコントロールできなかったら負けだと思うが
@oyomot: つかそれこそ「プレイヤー」の操作の問題>ゲーム表現。タッチできる範囲がゲームの扱う範疇。その外は関係ない。逆に操作できる領域が少ないほどテキストに依存しないといけなくなる。選択肢の多かったAVGが選択肢皆無のビジュアルノベルになれば受ける印象は当然変わる
@oyomot: あと、人間が肌を黒く塗るのとマンガの黒塗りを分けないといけないのは、昔のモノクロ期に作られたアニメの影響を無視してはいけないと思うつうかフィリックス以降は殆どフィリックスのパクリ(ミッキーマウスからのらくろまで)だったので、その影響下で黒塗りキャラがいないほうがおかしいって
@oyomot: 鳥山明氏のはドラゴンボールで一時期ずっとスクリーントーンを一切使わなくて(確かナメック星あたり)、ようやく使ってると思ったら水中描写でコマ全体にベタ貼りだけで、たぶん省力化のためだと思うんだけど、逆にすごいと思った気がする