アンチ・マジカル

 や。まぁ。映画化情報に一喜一憂していたhttp://bit.ly/durVVn程度には、原作の『 Watchmen 』は好きだし(実際に映画見た感想はhttp://bit.ly/c2SqDY)、魔法少女の各元ネタも判るので、言いたいことはいろいろあるのだが、とりあえず感想漁ると誰もウォッチメン知らない・未読だったりで、読んでるの前提な構成(元ネタ知らないと、構成の無理や改変の労苦を巡ってのゴタスタしたバランスがかなり気にかかると思うのだが)はどーしたものか。

 いちおう書いとくと、Watchmenの映画では悪党が変なコスチュームを着て暴れたのがヒーローブームのはじまりだったとして、ヒーロー誕生は受動的ななんぞやになってるが、原作ではヒーローの一人の自伝の形で自身の意思で仮面のコスチュームを製作し実際に身に着けて街に出て行くとこが書かれてる。まあ、ウヨとかKKKとかのアメリカの歴史上の政治背景がリアル仮面ヒーロー誕生の背景になってるよな、とゆー仄めかしがあって、それは当然ながら作品の重要なピースになってる、とか。原作は、そゆものです。

 アンチマジカルに話を戻すと、ウォッチメンという神話(冷戦下の核戦争危機の時代の英雄たちの黄昏、明日、セカイが一瞬で滅亡するのだとゆーリアルが語られた時代なんだから、もはや神代の感覚であろう)のエピソードがいわば物語原型としてあって、魔法少女たちをその原型にあてはめていくことで、逆に、もはや個人としての人間でしかない魔法少女たちのあり方を照らし出している、とゆーふーに読んだ。セラムン以降の90年代魔法少女を題材としてピックアップしているのは、神でも英雄でもない、神への信仰すら理解されない日本という特殊な環境の、個別の人間たちの物語だからだろう。つーか、そーゆー読み筋を仮定しないと、もっさりした場面描写に徹する文章がとても読みづらい。つーことでウォッチメン既読の人のみに向けて書かれてるね、と。

 あと、ネタバレになってしまうが、アメリカでは児童への性的虐待は最悪最狂の犯罪であって、幼い少女が性的に陵辱された末に殺されるところについては、Watchmenでも極めてシリアスに、重要なシーンとして扱われてるとゆっていいと思うのだが、日本の魔法少女ものをこーやってシリアスに扱うと、幼い少女が性的に扱われていることが物事をはじめる前の了解事項・大前提になってるという、アメリカのゴールラインが日本だとスタートラインだとゆー価値観の倒錯が、読むうえで押さえとくべきポイントかなあ、と。