遠藤浅蜊『魔法少女育成計画』(宝島社KL!文庫)

魔法少女育成計画 (このライトノベルがすごい! 文庫)

魔法少女育成計画 (このライトノベルがすごい! 文庫)

とりあえず文章がこなれてます。目新しい表現とかそゆのじゃありませんが僕は別にそんなの気にしないのでお話が面白ければいいんじゃないかと思いますが普通に面白いです。
素朴に言ってリリカルなのはとかマドカマギカとかが流行してるのでその路線で、という企画ものになるんでしょうが、なかなかどうして良い線をいってるというのは、あのへんが内容的に先走っちゃって取りこぼしてるものを、この小説がきちんと拾ってくれてるな、と思うからです。

現状のオタク業界の魔法少女ものって、「魔法少女」が「戦闘少女」とイコールにいつの間にかなってるんですが、実を言ってしまうとその文脈的な接続が非常に曖昧なんですよね。メグやルンルンのような魔女っ子やそのお仲間たち、ミンキーモモやマジカルエミといった「魔法少女」をジャンルとして確立させたものたち、そこから、なんとなく、いつの間にか、魔法少女ならぬ魔砲少女が中心にいるかのような形になってるんですけども、特撮戦隊ヒーローの女性化であるようなセーラームーンとか、ファンタジー世界の魔法使いであるような赤ずきんチャチャとか、スピンアウト作品であるようなプリティサミーとかエロゲ由来であるようなリリカルなのはとか、いろいろと歴史を追っかけられそうな代物が、あるにはあるんですが、言ってみれば一度は「正当派魔法少女」というのが拡散しきってしまって流れを追いづらくなってるなかで、ブレがいっぱいあるんですね。「『まどかマギカ』の魔法少女の描写も説明も、どう見ても戦闘中心で血なまぐさい志願兵な代物なのに、どうして、いかにも「戦闘しないのが当たり前の魔法少女像」という文脈で語られがちなの? その魔法少女像のブレって一体なんなの?」とか。

最近はとみに、魔法少女についての普遍的なイメージを借りてるのはいいんだけど、その普遍的なイメージを改めて作中で引き受けてくれずに、ひたすら戦闘にあけくれてて、「その路線の行き着く先ってガンスリ義体が窮極の魔法少女ってことでFA?」とツッコミたくなったりするわけです。魔法少女概念を壊してみせるばっかりで、改めて構築する気がない。魔法少女なのに血なまぐさいバトルに巻き込まれてどぎついぜ、とか言われても、何を参照して何が魔法少女なのか提示するという作業がなかなか見当たらないので、血と泥と硝煙の中で価値が見いだされるべきピュアな少女性というのが、単なる「戦うべきときに戦わない頭の悪さ」「萌えキャラの泣き叫ぶのを見て喜ぶための言い訳」ぐらいの代物になっちゃうわけです。いやそれで構わないというなら、別にいいけどさ。

んで改めて「魔法少女育成計画」ですが、戦闘少女としての魔法少女と、戦わないで人助けに東奔西走する魔法少女、両方が提示され、クロスするという構成になってるわけですね。ここでようやく「魔法少女は、なぜ戦うのか?」という、閑却されまくってきた問いが、まっとうに扱われたんです。僕の狭い視野においてではありますが、この、まどかマギカあたりをはじめる前に最低限こなしておくべき作業が正面に扱われてるというのは、本作が殆ど唯一なんじゃないでしょうか。

僕はこの「魔法少女は、なぜ戦うのか」の足元がしっかりしていないと戦闘魔法少女というのはちっとも先に進めないだろうと思っていまして、たとえば同じラノベの「アンチマジカル」みたいにアメコミヒーローものに素朴になぞらえてみせてもしっくりこなかったのは、そうした足場固めに失敗したせいだろうと考えてたりします。単に変身バトルヒロインということならプリキュアでいいし、プリキュアでいいんだったらモモとかマミとかメグとか言わんでもいいんですよね。

そんなわけで、本作は出てくる登場人物たちがマスコットキャラも含め人間くさくて、全人類的な話とか全宇宙的な話とか無闇にスケールでかい話にならない、ごく地味めな話なんですが、非常に大事なことをやってくれたと思います。後からとはいえ、誰かがやんなきゃいけないミッシングリンクを埋める仕事をやってくれた。ようやく、ここからです。

追記:
続編『魔法少女育成計画restart(前)』感想 http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20121111