Angel Beats!エア評論或は映画インセプション

 こないだ「Angel Beats!エア評論」のとこを削ったら、読者から「この、ヘタレ! 意気地なし! 玉無し! 軟弱者! 日和見主義者! ハテナサヨク! 伊○誠!」等々の罵詈雑言を浴びせかけられたので、復活します。
 

 以下、すごいネタバレです。

 

 すごく判りやすく明快な構造にリメイクされた「マルホランド・ドライブ」と言って、面白いと思う人がいるだろうか。あるいは、ハリウッド方式にズタズタに改変された「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と説明して、見に行ってくれる人がいるだろうか。

 インセプションは、そんな映画である。だのに、それゆえに面白い。その、ありえない凄さを実現してるから凄いとゆー、なんだか判らない凄さだ。内田樹がどんだけ「デビッドリンチは説明してもしょうがないのがえらいのだ面白いのだ」などと言ったところで、「だって、インセプションは丸ごと説明しちゃったもんね〜」と言えてしまう。明快じゃないとこなんて一つもないのだ。奥行きも含みもありゃしない。でも面白い。素晴らしいですね。

 ノーランという人は、これはあちこちの感想やレビューで指摘されてるが、イメージの飛躍とか、幻想とか、幻視とか、想像力の翼とか、そーゆーものとは、全く無縁の人である。ビギンズにしても、メメントにしても、そーゆー批判のされかたしてたわけである。脳手術をほどこされて物理的に夢を見れないんじゃないかぐらいに夢がない。おそらくそれゆえに、夢の世界とかをこうやって書いてしまえるのだ。およそあらゆる観念的な想像の産物を、ガチガチのフォーマットに落とし込んでしまう。ザ・カッコイイ!

 ギャルゲーマーならば、インセプションの夢の構造表現に近いのは、ギャルゲーのマルチシナリオ構造であると、やすやすと指摘できるだろう(ギャルゲーは並列構造でインセプションは階層構造だが、インセプションにおける階層構造の並列処理は、ギャルゲーの並列シナリオの階層処理、つまり、プレイヤーが実際にプレイする際には順番にプレイし、先にクリアしたシナリオが読解に影響を与えるという階層性の、映画的表現なのである!)。ノーラン映画って俺ルール多すぎだよねという感想は、やあつまり奈須きのこワールドで聖杯戦争ですね、と示せるだろう。中2病を中2病として提示できるのは、俺ルールを俺ルールのまま維持しつつ、観客に手際よくスパパッと示し飲み込ませることができる実力の持ち主だ。クリストファー・ノーランとは、ハリウッドの奈須きのこだったのだ。