さらに続き

 ソリッドファイター完全版で、スダケンが何の衒いもなく「殺す」と言い切ってくれたこと、それを読者である私が素直に読めること、「殺す」ことについての逡巡やメタな思考などこれっぽっちも介在しないこと、そういった感覚をさらりと受け入れられるところまでの描写にたどり着けるかどうかというと、実のところ難しい。なんつーか、それこそ篠房六郎だったらネトゲで相手を殺すことについてグネグネグネグネ書いちゃうわけだし、あるいは、ギャルゲーの女の子の救うとか救わないとかいう方向性に話が流れちゃうわけだ。

 けど、僕らはプレイ中にごく当たり前に「殺す」とか思ってるのである。そしてそれは、ゲームの影響で日常生活において暴力性が増したり不良になったりするような意味合いでは、当然ながら、まったくないのである。けど、「殺す」とか思う。思考はゲーム内のシステムに沿っていて、ゲームの内と外で途絶してる。そーゆーことがゲームの物語なのであるが、そのような物語を持ち出せるかといえば、なかなか出来ない。ソリッドファイターすごいな! みんなも読まなきゃ!

 ……というか、持ち出せちゃったら、それは拙いのである。だって、「ゲームと現実が区別ついてないで敵を殺すの当たり前とかリアルで実行しちゃう」のと、まるきり繋がってしまう。実を言えば、そのような「ゲームの中でだけ通用しちゃう思考や気分」を、別の道具立てでもって強化しパッケージングして、さらっと外へと持ち出してしまいかねないがゆえに、そしてそれが、酷く単純な実感と結びついているがゆえに、下手な越境はヤヴァイのである。ついでにいえば、ゲームのシナリオを評価してしまったりする、ゲームレビュー、ゲーム語りという行為のほうが、ゲーム本体よりもはるかに、その危険性に近しかったりする。