サマーウォーズみてきた

 かみあわなかった。

 カットとカットの間が繋がらなくなって、全体にシーンごと、ガジェットごと、作劇単位ごとにバラけて、それが何でこーやって並んでるのかサッパリわからなかった。おそらくは「健全な男の子度合い」に訴えて繋ごうとしてるんじゃないかと思う。俺はそういうの全く理解できない(「不健全な男の子」性なら判るつもり)ので、想像ですけど。たとえばシムーンなんかも各要素やガジェットや台詞単位がそれらしい順で並んでるのは判りますが、「つなぎ」が俺には見えず、バラけてて全く繋がりません。経験則でこういうことなんだろうな、という推量はできますけど。

 そーね。ある出来事に際して、感情がプラスに積み重なるかマイナスに積み重なるかというとき、向こうはプラスに積み重なるもんだと思って足してくんだけど、実はプラスにもマイナスにもなるんじゃねとか、そーゆー不分明な繋がりが連続で続いてく、そのへんなんじゃないかね、ごく素朴に当り前に。それが俺の読み込み不足なのかむこうの語り不足なのかは知らん。ばーちゃんが昔の知り合いに連絡しまくるとき、まぁ、ツッコミ脳的には「年寄りが現場の作業を邪魔してんじゃねえよ」と思うだろうし、感動脳的には「ばーちゃんすげー」て思うだろうし。個別ガジェットがまぁそれぞれ動画オタを刺激する程度にはよく出来ててんのも全体のつなぎを阻害するつー意味でマイナスかもしれんし。

 全般に、繋ごうとするよりは細かく分けてこうとする気配が強かったのも確かで。登場人物の多さを声優や職業やの説得力で分類してったりとか、あとあれ、「俺はゲームじゃなくてスポーツ(真剣)でやってるけど、あいつはゲーム(お遊びの意だろう)のつもりでやってる」というのは、うちらとしては凄く引っかかるよね。「ネットと現実はもはや一体化してバーチャルとリアルの区別なんかないけれども、ゲームと真剣勝負は分けられる」と言われちゃうと、なんのためのソリッドファイターだったんだろうなぁ(いやソリッドファイター関係ないけどさ)、と。時間をてきとーに伸ばしてれば「勝ち」のところをあえて一発勝負のゲームに乗る、そんな彼/彼女に乗ってやりたい(んで人類滅びろ)と思うのが昔でいう人情でないか。

 漫画から「笑い」を廃して劇画を立ち上げるんだとか、ゲームじゃなくて物語・読み物・小説・シナリオだもんねとのたもうた真面目人らの話。