あきらめたとき作家性という言葉がでてくる

 そのジャンルが勢いがあるときは、作家の名前を気にする人は少ない。

 もう先はないと諦め気味になったとき(ジャンルなり興味の対象なりとして追いかけるのに疲れたとき)、作家の資質に関心が向かう。

 なんというか、ある概念と結び付けられるキャラクターというのは一対一でセットになるようになっていて、勢いがあるときのジャンル作品というのは、自分という人格の身の内に、引き受けられるんだと思うの。

 で、自分の身に引き受けるには、どうしても辛くなってきてしまったとき、作家というのが見出されてしまうんだと思います。