まあ、そのうち

 紙芝居は基本的には動画とは相性が悪いのでリプレイ重視系に向かいがちな自分としては、やっぱチルノ放浪記の対アーチャー戦は最高に燃えたね、などとミーハーなほうに流れるのだけど。それはさておき。

>特に東条英機牟田口廉也毛沢東(けざわ)、ヒットラーなどの人物がハルヒやこなたに劣らない個性を発揮していることが見どころであろう。
http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/248.html

 歴史とゲームを結びつけたときの面白さ、いかがわしさの根ざすとこは、やっぱりゲームが「勝敗」と切り離せないとこだと思う。小説が敗者の物語なら歴史は勝者の物語なのだから。プレイヤーが歴史ゲームをプレイすれば蜀もナチスドイツも「勝つ」。あるいはフィジカルに直結するのが歴史ならフィジカルから強制的に切り離されたのがフィクションであるような現状の「物語」だとも言えて。「言葉の領域」「指示するものVS指示されるもの」でもって線引きされてきたルールと異なるルールを適用して言葉や記号の結びつきを引っくり返していく、個人やキャラクターといった概念の既存の範囲を超えてキャラクターの支配領域を広げていく、「ゲーム」のそういう性質が「歴史ゲーム」の「物語化」ていうジャンルで上手いこと出てる。

 コーエー系が多いのは、もちろん和歴史ゲーはキャラゲーであるてのが大前提だからだけども(洋ゲーで歴史を題材にするとキャラ性少なめ)、それだって紀伝体ていうスタイルがあるしなーとか。事跡も技術も人に還元されてく態度によって、100年後の世界で民間伝承の中のハルヒが見出され、イエスキリストの墓のようにして涼宮ハルヒの歴史的業績を記念した碑文が200年後の世界各地に建てられ、300年後の郷土史の一文にハルヒの名前が挙げられ、400年後の歴史教科書にハルヒの名前が掲載されていく。そんな広がりをこそ求め勧めていく流れがニコ動発の物語から繋がっていくのが僕らの夢見る未来予想図だよね。