文脈について

 言うまでもないがJファンタジーの半分はSFロボアニメで出来ている。戦士が身につける鎧はロボットの装甲みたいだし、魔法使いの攻撃呪文といえばビーム兵器、んで妙に中途半端な中道路線とゆーか口先だと善悪白黒つけたがらない割にやってることは敵を撃破して問題解決なストーリー。

 海外のファンタジー小説の翻訳にしたところでハヤカワや創元のSFの棚の横に並んでたわけで、ファンタジーを供給してきた側の多くが大流行だったSFロボアニメの影響下なのは当り前だが、では新世紀で大人の鑑賞に値するつーて持ち上げられたガンダムといえば、敵であるジオン軍の軍人はやたら人間臭く描写されるわりに、味方である連邦の連中は官僚度合いがやたら強かったり私利私欲に走ったりと無闇やたらに共感できないような描かれ方をする。ジオンの前線の一兵卒たちはどいつもこいつも魅力的なのに、連邦のヒラの兵士といえばアムロの実家を占拠して飲んだくれて嫌悪感をかきたてる。悪に振れ幅を持たせて萌えさせるとなれば、シャア筆頭とする美形悪役の陶酔ぶりも大概キモイが、何よりまず未だにトリトンの善悪の逆転すげーとか言ってるアニメ評論家とトミノ厨から先にDISらなきゃ話にもなるまい。銀英伝くさす前に、ガノタ筆頭にSFロボットアニメ文化を寿ぐロボアニメ厨の欺瞞ぶりからとりあえず摘発しろ14歳で訓練も教育も受けさせてないガキが戦闘ロボットに乗りました世界の命運を背負いました傷つきましたヒッキーになりました俺たちの心理を代弁してくれています阿呆かその設定を許容してガキの心理語りすんのが気持ち悪いわ、とは、なぜか、ならない。

 ガンダムあたりの中途半端さは、大概、子供向けロボットアニメという制約の中で大人のドラマを持ち込んだ、みたいな正当化をされて許容される。なるほど連邦軍人の多くの杓子定規な官僚ぶりはホワイトベースガンダムの活躍を際立たせるためには必須だろうが、実際は、そうした半端さから英雄史観や勧善懲悪やキャラ萌えが滲み出てしまうような隙だらけの作りだったからこそ、そーゆーのが好きなジャンクカルチャー受容層を囲い込んで、彼らにファン活動としても金銭的側面としても支えられて、ご立派なSFアニメの実験にチャレンジできてきたのだ、とか。

 問答無用に正統な悪役にして敵役であるような魔王を設定するのをためらい魔王の討伐を単純正義とみなさなかったJファンタジーという魔王勇者の背景は、そういった文脈に下支えされて成立してきたのだと思われる。