なんでああ「判りきった駄作」にだけガタスタ抜かすか

>傑作を褒めることはたやすい。駄作をけなすこともたやすい。そしてどちらも、同じように退屈だ。
http://kaoriha.org/nikki0311.htm

 周囲がみんなそんなんばっかで退屈を通り越して苦痛です。

http://twitter.com/_imaki/status/13858826822
・そもそもゲームのシナリオは、そのステレオタイプな記号的キャラクターの用法が差別意識の思想背景を温存・伝播してしまうんじゃないか、ていう指摘は昔からある(そして解決していない)。これはゲーム文化全般に言えることで、ゲームシナリオを考えるんだったら大前提。麻枝シナリオとやらの「家族」だの「強さ」だのも、そうしたゲームシナリオの記号性の強さ(勝敗ラインの線引き・勝利ポイントを一度つけてしまうと、それが不動になる)に引っ張られてエスカレートしたんじゃねえかつー視点は必須だ。魔王勇者だけケチつけてれば済む話か。

・問題のやつ、キャラクター名も役割・職業で記号化され、小道具も常に現実世界でのイベントを参照させるための記号的役割の度合いが殆どだ。戦闘シーンから魔法の呪文の名前にいたるまで全部記号。作品世界内における具体的・物理的・現実的なものへの結びつきが極めて薄く、どちらかといえば数式に近い。具体的な数値を代入せず純記号的な操作に徹してるわけだが、その基盤となるのがRPGから持ち込んだ記号性で、当然上記の問題は抱え込んだまま、唯一の例外を除いて全編が具象レベルに話が持ち込まれず抽象レベルで話が進行する結果、思想が生臭い具体性として露出する瞬間が実は殆どない(つまりただ進行してくだけであって異世界の描写という行為に至っていない、といえる)。言っとくがhttp://twitter.com/kaolu4s/status/13859693317は単に教条的態度だ。

・魔王勇者の展開については、まず魔王と勇者は当事者は全体の流れの中で浮いていて所在無いことは最低限指摘されるべきで、実質的に全体の流れを決定づけるのはメイド姉。このメイド姉妹は「姉」が「メイド姉」に「妹」が「メイド妹」に呼び方が変わる、作中唯一の特異点にあたる(他に「王子」が「冬寂王」に変わるが、こちらはやることなくてどんどん影が薄くなってく)。魔王と勇者はイメージキャラクターとして全体の指針を適当に示した後、ほぼイチャイチャゴロゴロするのだけが与えられた役割。記号性で覆い尽された中でメイド姉妹だけがシナリオ展開によって呼び名が変わる、そのイベントが、実質的には作品の中心軸となるのだが、問題はそれが極めて日本オタク文化圏的な意味合いで彩色された「メイド」であること。続く。

続き:http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20100514#1273762927