つづき

 魔王が現実世界の歴史や知識を明らかに参照しているように見受けられることをどう扱うかなんだけども、これは作中情報だけだと判断しようがない。図書館というのが何なのか判らない以上、作中に出てくる「馬鈴薯」が現実世界のジャガイモなのかも判然としないし、のみならず、例えば「日本語の適切な用語にきちんと翻訳できているか」のようなコトバと実際の状態・事物との適切な一致の度合いを判断する材料もない以上、「古代ギリシャ都市国家自治と近代民主主義を同一視し連続したものとみなす愚」を、それぞれの記述において、常に犯してしまう可能性がついてまわる。さらに言えば、魔王が単に
「嘘ではない。2ページ目を見るが良い。こちらには各種統計資料が添付されている」
とゆー攻撃呪文の名前を叫び、勇者が
「戦争で数多くの死者が……」
とゆー防御対抗呪文を唱えているだけ、の可能性も捨てきれない。いや実際、コトバには、そういう側面は常にある。もっとフランクに現実と関係ない異世界の出来事のように見受けられる以上、「英単語の発音が日本語の差別用語に聴こえちゃう空耳」かもしれない。

 いやまぁ、上記のような屁理屈を並べていった場合、「感動の物語が台無し」にはなるのだが、本気で突っ込んで問うならば、異世界などという現実とつながりようのない代物というのは、別視点の構築が不可能な以上、そーゆーことがいくらでも言えてしまう。魔王勇者の今回のそれについて、どんだけ真面目に議論しても尻尾なんて出てこない。

 あえて言うなら「感動のメッセージを受け取っちゃう読者各自の意識の問題」ではあるだろう。では魔王勇者がそうした「誤ったメッセージ」「誤った知識」を読者の脳に捻り込む強い強制力を持ちえているかというと、そもそもが記号から記号への綱渡りばかり、読者側の既にあるイメージ・コンテクストにほぼ10割依存な代物であって、実質的には何も言ってないに等しい。現時点では。

 ここまでは基本。そんな瑣末な話はどうでもいい、現にあの連中は感動のメッセージとやらを受け取って大騒ぎしているではないか、と横に投げてしまったなら、そんな瑣末な部分の整合性の描写にまで誠実に心を砕いて異世界ファンタジーを構築してる他の諸作品の努力までも、全て無視することになる。

 その上で、魔王が現実の現代世界の人間のような知識を所有しているかにみえる描写について、注意深く留保しておく必要がある。

 続く。