キャラクターを介さないのならば

 世界樹の迷宮では、このようにして、キャラクターや物語の主人公のような概念は、ゲーム中で明確な像を結ばないまま、便宜的かつ即時的な対応の羅列によってのみ、成立している。

 ではゲーム中でゲームシナリオは存在しないのかというと、けしてそんなことはなく、かなり積極的な形でプレイヤーの行動指針に干渉している。迷宮内は厳密に階層化されて次の階層の手前にはボスが構えており、階層内で全滅をもたらしうるほどの強敵はFOEとして地図上に目に見える形で配置されて避けることができる。初心者が間違えていきなり地下10Fに降りてしまって全滅するような、「プレイヤーは本当に自由勝手に行動できるかわりに理不尽なゲームオーバーも日常茶飯事」といった昔の洋ゲーRPGの心を積極的に折りにくる自由度からすると、世界樹の迷宮でのプレイヤーの行動パターンは、かなり厳密にコントロールされている。たとえば階層のボスには由来と来歴がつけられてシナリオ化されており、理不尽に道を塞いでいるだけの存在ではない。

 そして、例の二人称の語りによって、プレイヤーの操作するパーティの行動は誘導されていく。

「君たちはここで○○してもいいし、しなくてもよい」

 という、世界樹の迷宮を象徴するとされるメッセージの手法は、「○○を行ないうる」、つまり行動の具体的な指針を指示しつつ、それを強制イベントと思わせないソフトな対応を示している。一見してプレイヤーには選択の自由が与えられているが、それは、プレイヤーに「やらされている感」を与えないための、巧妙な言い回しである。

 ここまでくれば判るだろうが、世界樹の迷宮で主体としてシナリオをコントロールしているのは、ゲームマスターのような、二人称である。この二人称のシナリオ文が軸となって、その周辺をプレイヤーキャラクターが回る。職業個別イベントをみると、「君たちのパーティーの中のダークハンターが前に進み出た」といった形で、二人称がプレイヤーキャラクターの一人を指名することで、はじめて個別の行動をシナリオに反映させることができる。プレイヤー自身の手でキャラクターを指名し操作することは、シナリオ内においてはできない。

 プレイヤーとキャラクターの間に必ず二人称の語りを介する世界樹の迷宮では、一人称や主人公の概念は準備されていない。みてきたようにキャラクターも固有名をもった固有の存在とは言いがたい。にもかかわらずゲームは人気を得、シナリオは存在し、二次創作も作られる。これはなにか。