困ったね

 例えば、自身のバランスを失った頭の作りに対する自覚から、釣られやすくかつ誰にでも自明な弱点をさらしてるエロゲオタあたりを攻撃することで安寧を得ようとする心のあり方ってのは、他人に指摘されようとそれが自身の精神バランスの源である以上は「判っててやってんだよ」としか対応できないわけです。

 んで「わかっててやっている」という意識の二重構造の取り方自体が、その二重性の宙に浮いた形からして他のつっかい棒に支えられていないと成立しない不安定な代物なので、まさにその「わかっていてやっている理性」のために、非理性的な原理主義を採用せざるをえなかったりする。んでそれが「エロゲオタは安心して攻撃できるから攻撃しとけ」というふうに循環してくと、もう、ループから抜け出すのは困難。

 大雑把にいうと、上記のようなのが、惑星開発の人のアタマの流れ。エロゲオタを「自分を攻撃してる、釣られやすい連中」に変更しても、ようは同じなんだけども。

 で、彼のそういう「判っててやっている」循環構造を指摘したところで、それは循環を促すようにしか働かない。むしろ、彼の「わかっている」という部分を再確認させて、外から支えてあげるようにしかならないので、転ちゃんの「批判」とやらは、惑星開発の人の自作自演の手伝いでしかならないのだよね。構ってあげることで、彼が「正気」でいられる期間を先延ばしにしてあげることは出来るから全くの無駄ではないにしても。

 そういう共依存ぽい循環に他人が巻き込まれてくことに、メリットが見出せないから鬱陶しいのが問題なわけだけど。ああやって批判することで仲間になれるのが嬉しいという人たちも一定数いるのは、なんとなく推察されるけど。クロヘンの人とか。

 でも、それを放置しとくと、いざというときに身動き取れないんだよな。いざ緊急時ってナニ? つーと、じゃあそろそろ本格的に焚書しましょうね、となったときとか。焚書に抗議しうる政治的根拠がない。政治的に焚書したい人たちとゆうか、政治にドブ漬かりしてる人たちはリアルな今に生きてるのに、リアルな今を捉えて同じ場で対峙するコトバなんて持ってないわけで。いきなり原理主義的な言論自由を持ち込まれても、それはツイッタのリアルタイム性が持て囃される時代において、あまりにも古色蒼然たる代物すぐる。

 じゃ彼らがリアルな今をコトバにしてないかというと、そゆコトバは、惑星開発の人と一緒に遊ぶための共依存ツールでしかなかったりするので、普通の人には通じないというようなのがね。