非実在青少年の話がもりあがってきた

 海外の誤解という話がいろいろあって面白いのだが、レイプレイみたいな3DCGを日本で流通してるバーチャルポルノの主流とみなす(…ああいかにも頷いてしまうわ)とゆー態度から外圧気味に翻訳してって非実在青少年になるわけね。んで一度日本に上陸して翻訳されてしまえば、全部が対象になるだろう、とゆー。

 3D技術なんぞ、やめときゃよかったのにねえ。そうすりゃ海外の大概の人たちからすれば、全く読解不能ロリコン二次絵と袖ふれあう機会も生じなかったろうに。まぁ、こうなった以上は突き進んでいくしかないだろうけど。

 …海外の誤解、とゆー話で言えば、動物化するポストモダンの英訳ってどうなってたっけ。「ゲーム的リアリズムの誕生」を翻訳したのを向こうの児童ポルノ規制論者に読ませれば、かなり、彼らに都合のいい部分をピックアップできるだろーに。単純に「リアリズム」というコトバを向こうの人が読みとっただけでも、非現実の青少年を現実のようにみなすコードが日本文化では成立してる、と読めるんじゃねえかなー。

 ゲームのメタ的な要素にプレイヤーが自己を投影し、あるいは居場所を見出し、あるいは主人公の言動をメタ的なコードを通じて引き受けるような態度とゆーのは、消極的に、こーゆー「現実の問題」とのすりあわせを避けてくるような位置づけに収まってるわけだけども。

 現実の法や社会が、こうやってバーチャルかつ、いくらでも複製拡大可能な存在とゆー概念を実際の運用に取り込んだらどうなるかについては、エスエフでさんざ扱ってきたはず、だと思うんだけど、あらためて今のような状況を扱ってるのって、どのへんの作品になるのか。

 虚構と現実とゆーお題目の弄び方が、片手落ちにすぎて、ワンパな形式でしか虚構とゆーコトバを扱ってないとゆーことになってなきゃいいんだけど。なんか、反応がすげえワンパっぽいので(いつまでたっても、焚書禁書弾圧ネタでしか盛り上がらない)、サイバーサイバーつった果て、いったいナニを語ってたんだろうな、とゆーのは、彼らに聴いてみたい。

 わりと、どうでもいいよ(俺らモトモト現実に居場所ないし現実のことなんか関係ねー)、という無関心の形でしか返事はかえってこないんじゃないかと想像するのだけど。さて。