長谷川等伯展

 十数年前に写真で一目ぼれした水墨画が松林図でした。

 阿修羅像といい、日本人の平均的美意識のど真ん中ストレートを歩んでいるのを自分で確認できると、やっぱり安心します。ひとりぼっちはイヤだもの。

 オタクが保守的というのは、自身のアンバランスさをアンバランスさとして突きつけられてしまったときに、大概の一般人の心情として、バランス回復のための行動をとるから、なんでしょう。オタクだからこそ子供を守りますとか何とか、娘に汐とかの漢字を使っちゃって家族マンセーをそのまま受け取ってみたりとか、やっぱ大人になったら結婚しなくちゃいけません、みたいなこと言ったり。偏ってるかもしれないという恐怖から、自明であるような平均値や社会規範に必要以上に強く帰属を求める。それが逆に危うさの種でもあるのですが(過度の保守主義、排外主義に近しい。シャフトも京アニも嫌い。消失ハルヒを見に行きたい感覚とかマジ理解できない。うみねこ喜んでるとかバカァ? 等々)

 そんなわけで、日本人の平均的美意識を身体の隅々まで染み渡らせてきました。等伯ステキです。

 つっても松林図は十数年にわたる妄想神格化が激しすぎたのか(わりと何年かに1回ペースで国立博物館の国宝展示には乗っかってくるのだが、見逃してきた)、そこまでのインパクトはなくて、今回は金碧画のほうにガツンとしびれてまいりました。

 破格でした。ありえないぐらいに様式と様式破壊のぐねぐねしたのがバーンつってドドーンつってガシッでした。等伯ありえない超超ステキみたいなー、鳥肌たつよねー♪、ねーっvvv 

 そんな。

 ついき。

 図録の解説で、等伯の特徴として奥行き表現の積極的放棄が第一に挙げられてるのを読んで、さもありなんと得心したのでした。