時間の考え方

 コンビニは時間を売るのを主眼とする。マクドナルドに始まるファーストフードでも待たせないために作りおきハンバーガーを10分で廃棄するなんてのがかつて語られたが、コンビニはその究極として、ふと思いついた瞬間に欲した物が手に入っている魔法の瞬間お届け装置として「物質的豊かさ」を実現する。

 利用者が極限まで時間を使わずに済むよう、店舗面積は集約され、商材数は極限まで削られ、客をレジ待ちで待たせることは罪悪であるとされ、思いついて自宅を出たら目に入る極小の商圏で運営され、24時間365日営業がなされる。

 なので、コンビニの来客は「思いついたら即コンビニ」=「計画性のない買い物をする客」で構成される。別に生活の全てにおいて計画性に欠けてる客という意味じゃなく、「その買い物については、通常の計画的な行動のパターンに入ってないので、いちいち余計な時間と頭をつかいたくない」からコンビニを使う(考えたり探させたりしたらコンビニ運営は敗北)。考えさせないための条件反射を客に躾け、生活の全てをコンビニでまかなう訓練が達成されると生活の全てにおいて計画性ある買い物をせずコンビニに依存する客が作られる。が、逆に言えば、本気で金に困ると金の使い道を考えないわけにはいかないのでコンビニは使えない。

 だから、

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090824/1251046023

 でイメージされる低所得層というのは、年収200万未満若年アニメーターじゃなく、「収入が不定期なので買い物が定期的行動パターンに組み込まれてない人」や「生活保護や年金で暮らしてて労働みたいな社会との接点があまりない中高年以上の人たち」じゃないかと推測される。ついでに書くと書店であっても「エロ雑誌売場でエロ本眺めてたら突然ズボンを脱いで右手で股間をしごきだした外人さん」という、計画性を全く持たず思いつきで書店を利用する人はいる。ややさびれ気味商店街付近のエロ本多めの書店でバイトしてたりするとそういう目にあう。
 
 閑話休題、現状、早朝から深夜まで隙間ナシに働く貧乏暇なしで夜中にコンビニ行くしか買い物ができない、なんて人は想定しづらい。だったら、それこそ夕方に買い物して夜はコンビニその他で深夜バイトに入ればいい。

 コンビニのこうした立ち位置は、客から見て消費に関する情報が氾濫して整理しきれない状況で成立する。では情報淘汰されたら?