東方

 どう作ればいいかて話のうち、作家の感性だかが全てなんてのは嘘っぱちなのは作ってる側が一番わかってるはずだ。何が正しいか見えないまま使い古された古典や経験則や暫定ででっち上げられた理論に頼りつつ正解を目指し、反響があれば正しかったと後付けで決まってく。なんで「演劇的」なんて言葉に皆が引っ掛かったかといえば、それぐらいしか先を見出すための理屈らしきが見えなかったからだし、それを立ち絵といったグラフィックの側に引き寄せなければならなかったのも、価値を提示するのに他の手立てが見つからなかったからだ。

 もちろんそれで実際に市場が広がり売上が伸び客が満足するならそれでいいが、「エロゲはとっくに終わった」と言われ「エロゲ会社が倒産して制作費とりっぱぐれた」と愚痴る知人の業界人がいて「ごらんの有様だよ!!!」ぐらいしかみんなで盛り上がるネタが提示されない状況で、まだ何年も前の手法だか理屈だかにしがみついて何か言った気になる人がいるのは、「ディレクター/ライター側で、それらを意識的に使える(指示できる)」ことでクリアされる問題ではあるまい。「それらを意識的に使」う気がない作り手たちも同じ場でくすぶり、立ち絵の見切れた下半身にロケットエンジンをくっつけて飛ばすぐらいしか思いつかない人の指示でとにかく動かしとけとなる率のほうが高いのではないか。そうして「なんとなく流行してるから入れてみた」と「他に目立つネタが見当たらないからレビューで話題にしてみた」とが循環してるだけの関係が成立し、惰性が切れたときにエロゲを卒業する。ユーザーの向上に期待する、なんてのは上り調子のときに期待するならまだしもの話で、斜陽だから教育に力を入れるというなら小学校の国語教育にビジュアルノベルを採用し20年待つぐらいしか手立てはない。

 僕に言わせれば、そんなビジュアルノベルに期待するぐらいなら「賞味期限の切れた」RPGやタクティカルシミュレーションにストーリー付ゲームの未来を託したほうが客を呼べるし展開も期待できる。実際なんで東方がヒットしたかといえばノベルじゃなく弾幕シューティングだからだ。実際に弾幕でストーリー性やキャラクター性をどこまで描写してるかをプレイヤー全員が読み取ってるわけではあるまい。弾幕シューという暫く見なかったジャンルによる「新規さ」がノベルやRPGよりオリジナリティを強調した。