エロゲのはなし

 劇場版AIRのDVD特典ドラマCDで、往人が観鈴の夏休みの宿題を手伝う話がある。清水義範の小説ばりに国語のテストの本文を読まずに設問だけ読んで「『女は男に"苦しみ"を渡した』だと、なんてぇ女だと思うが、『女は男に"悲しみ"を渡した』だと、何となくカッコいいだろう、だから答えは3だ」などとズバズバ解答してく内容だ。

 これ、AIRあたりに代表されてしまうようなビジュアルノベルに対する非常に痛快な批評になってる。この手のエロゲのシナリオは現国のテストのように「作者の用意した正解」を読解して与えられた選択肢から正解を答えることで先に進む形式になってることを、わざわざエロゲの男性主人公とヒロインでやってくれてるのだ。

>読者は、作者の考える論理的/政治的/倫理的/文章読解的に正しい読解を押し付けられるために作品を読んでいるわけではないのです
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20081209

 ナンパ型エロゲの系譜を受け継いでるような、とりわけNScripterで作成されてたりするようなゲームの結構な割合が、女の子の気持ちに沿うような正答を、女の子とセカイの謎や巨大な事件やらがくっついてるような話ならその謎や事件に対する「作者の用意する正しい答えや意見」の読解を、読者に求めるようにしてきたと思うの。

 もちろん作者の用意した「正解」に辿り付く必要はないてのがRPGからこっち、ゲームと読み物とが混合されたタイプの作品で提唱され続けてきてるけど、現実に、例えば他人にそのゲームのシナリオについて説明するとき、作者の用意したメインの筋書きを無視なんて出来ない。「Fateの士郎は聖杯戦争を辞退した」という粗筋を「これが俺の読んだFateだ」と思うのは勝手だけど、まず相手にしてもらえないし、孤独だし、バカ扱いされ敬遠されてサヨナラ、になると思うの。そういう人を取り上げて社会的、タコツボコミュニティ的な圧力に打ち勝って自己の読解を主張できるなんて、僕は言えない。そんな労力無駄だし。

 様々な展開から好みのシナリオを選べるじゃないかと言いつつ、その選択をするとあのキャラはこう反応するんだなどと、通常の小説の読解のレベルでの読みに対して「読み方の制限」が発生するのが選択肢で。ヒロインの心情を読み取り正答を返してナンパする系譜のエロゲなら、なおさら登場人物の心理読解あたりで読み筋が強制される。

 続く。