余談

ゲームていう括りはコンピューターに拠らずとも自動的に外部から切り離された時制を採用するわけだけども、逆に言えば、時間の流れ方が今のような流れ方ではない時代はゲームと現実の切り分けも当然ながら緩やかだったはずで、例えば、厳密に区切られた時間ていう考え方がゲーム的だという意見と、時間を考えないで動いてる奴は遊んでるんだという意見とは、多分、両方とも世間様では成立してて、それは契約サイクルで活動してる商人と天然サイクルで活動してる農家との集金をめぐるトラブルとして現実のあたしに降りかかってもくるのだけれども、それらの時間の概念を双方ともに裏切る形で採用しているのがノベルゲームの特長である、と。
過去のシステムの名残として1日ごとに明確に区切られる表示は意味を失なった繰り返し行為を呼び込み、殆ど何もせずとも最後のEDまで到達してしまう、考える必要のない(考えても意味がない)物語展開は実感、体感といった言葉を素通りさせていく。
ゲームとノベルのどっちつかずの状態で、さらに言えばビジュアルノベルとノベルADVとの間を殆ど差異の見えないまま往還を続ける運動を繰り返すことで、ただ無意味であり続けようとするのがノベルゲームていう代物なのだと。
そのぐらいの賞賛は、言ってやれそうな気がする。