ゲーム評価の基準について その2

http://d.hatena.ne.jp/tdaidouji/20130529
の続き。
さて、デジタルゲームについて、ゲーム性談義をするのは結論の出ない悪手なのは20年以上も前から判り切っている。
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2629.html
という記事の人は、「ゲーム性がないからダメ」と外野から言われ続けてきたAVGビジュアルノベルの流れについて、全然知らないので、「個人の好み」で丸投げしてしまうのだが、典型的な「何も言ってないに等しいゲーム談義」である。
 
ある種のAVGやその系譜がゲームじゃないと批判されるのは当然だ。だってデジタルゲームは初期の段階から「ゲームじゃない要素」を内包しており、ノベルゲームはその「ゲームと言われるのにゲームじゃない」という狭間の領域を最大限活用し、販売する際にあたっても、しばしば「ゲームではないこと」を隠れた付加価値にしてきた。
たとえばノベルゲームの領域で評論的に好まれて題材にされる「ループゲー」は、「ループからの脱出」つまり「外部から遮断され繰り返される時空間」という「ゲーム的な場」からの脱出を題材にしている。ゲームという枠組みの中、ゲームシナリオでゲーム批判を行う、という手法が、一定の層に受けたのだ。これは、RPGの定番枠組みであるとされる「勇者と魔王」*1をパロディで茶化すのと傾向としては同じで、要するに30年、40年にわたって100万本タイトルが続出し全世界にポケモンを輸出し庶民文化として充分に定着した「デジタルゲーム」という大きな広がりに対し、ほんのちょっと批判的な視線を投げかけるのが、高二病的な意味でカッコよかったのだ。
ちょっとナナメに構えたい層にとっての「ゲーム批判をするゲーム」という便利なツールとして、ノベルゲームは一定の支持を受けてきた。
ちなみにノベルゲームが量産されるに至ったエロゲー市場は「エロゲーコンシューマーゲームより表現の自由がある」という現実的でないイデオロギーに支持されていて、そのイデオロギーにどっぷり浸かった人にとってもノベルゲームの「ゲーム批判をするゲーム」は都合が良かった。現在制作されるエロゲーの大半がノベルゲームになったのはメーカー開発費がないという切迫した台所事情によるものだが、ゲーム評論したいナナメな筋にとっては、結果的にエロゲーとノベルゲームの組み合わせ相性は最高だったのである。
 
けども、そんなんで10年も同じものを作っていたら、さすがに誰でも飽きがくる。
現在ノベルゲームが圧倒的多数となっているエロゲで問題となっているのは、ゲームとしての要素を極限まで解体しつくしてしまった後に、「このジャンルはとっくにゲームじゃない」という認識がいきわたり、結果、「ゲームじゃないとしたら、これは小説なのか? 映画なのか? アニメなのか?」という、ゲームじゃないところの定義論争が始まってしまった閉塞状況である。
 
ゲームであれば定価8000円であっても仕方ないが、映画や小説と比較すると高い。
ゲームであればプレイ時間が30〜40時間なのは当たり前だが、映画や小説と比較すると長い。
 
ゲームであることをジャンル名にしつつ、しかし「これはゲームではない」という価値観を推し進めてきた結果、自分たちの居場所を壊してしまった。本当に誰から見てもゲームじゃない、というふうに周知されてしまった結果、「ゲームの中からゲームを批判する」というポーズが取れなくなってしまったのである。
 
だから、ノベルゲームは逆に「ゲームジャンルにすり寄る」という手法を定期的に採用するようになった。もちろん、いわゆるところの「ゲーム性が高い」作品にはならない。そうじゃなく「ゲームを批判するゲーム」であり続けるために、名目だけ少しばかりゲームの領域に舞い戻る。ちょびっとバッドエンドがあったり、選択肢で失敗した結果とゆー名目で作られたバッドエンドが極端に強調されたり、ぐらいの。これは2000年ぐらいからずーっと続いてる。というか、上記にあげた「ループゲー」というジャンルが、この『「ゲームを批判するゲーム」であるために少しだけゲームの領域に舞い戻ってみせる』手法のもっとも成功した事例である。AIRとか、ひぐらしとか、名前出てこないけどロミオゲーとか、評者が好む題材は様々だが基本的には変わらない。ナナメに構えたい人のためのナナメゲーである。
 
ちなみに脱線すると、シュタインズゲートは奇跡的にナナメなノリから脱出できている。これはまあ、そのぶんアキバ文化だのの別の枠組みに依存してたり、いろいろな作中の矛盾点を放置して、「ゲームを批判するループゲームを批判するループまがい*2のループゲーム」の位置づけにバランス取りを持ってった、シナリオライターGJ、という代物である。つまりシュタゲが出てきたあたりで「ゲームを批判するゲーム」としてのループゲーすら賞味期限切れということなのかもしれず、エロゲ衰退論が活発なのもむべなるかな、という気がしないでもない。言うまでもないがシュタゲはエロゲより表現が制限されてるはずのコンシューマーゲーム出自である。
 
「まっとうなゲーム」を評論したい人たちは、そういうノベルゲームの屈折をご存じじゃないので、実に安易にノベルゲーを引き合いに出して物語ガーとか言い出すわけだが、どうせプレイしないんだから黙っとけばいいのに、というのが正直な感想である。
が、まあ呆れるだけでも仕方ないので、じゃあゲームおよびノベルゲームをどう評価すればいいのよ、という話をしておきたい。
 
すごく簡単である。上記につらつらと述べてきた、ノベルゲームの「ゲームを批判するゲーム」としての価値を、改めて、真正面から問えばいい。
なぜなら、ゲームジャンルの中に留まらざるを得ないノベルゲームは、上に述べたとおり、小説や映画と言ったゲーム外の領域に半分以上浸かっているからだ。このジャンル横断性こそが、ノベルゲームの強みであり、ひいてはデジタルゲーム全般の強みである。
実をいうと、ループゲーだのノベルゲーだのの「ゲームを批判するゲーム」という価値は、シナリオの中で、いかにも小説的に、映画的に、物語作品的に、実に情緒的に語られる例が大半で、正面切ってゲーム批判するというものは、あまり多くない。基本的にナナメに語りたい人向けだから、それでも十分に需要を満たしてきたのである。
だが、ゲーム産業が質量ともにサービス産業の最大の領域の一つとなり、株式市場を賑わせ続け、教育だの軍事だのとコラボレーションが語られるなど、なんだか怪しげなほどに肥大化している昨今、デジタルゲームを批評する言葉が求められてるのは確かだし、そういうのに乗っかってナナメなゲーム語りをするだけで商売のタネにするダメな学者がはびこり、実質的な批判が存在していないのも確かだったりする。
そういう現状なのだから、「ゲームを批判するゲーム」としてのノベルゲームは、実は、十分に価値があるはずなのである。無駄に情緒的に嘆くばっかりで中身がないループゲーとかは、この際、無視して構わない。というか、その手の批判したフリするだけの代物は、むしろゲーム批評を成り立たなくさせてきたというのが主観的な感想である。
 
そういうことをしなくても、ノベルゲームは構造的にデジタルゲームを批評することが出来る。なぜなら作中にゲーム構造が取り込まれているからであり、その取り込まれた構造について、安易に弄ばず、きちんと表現に繋げれば、それだけで十分に批評たりえる。
小説とゲームの複合し錯綜したノベルゲームは、ただその形であるだけで、その内側でゲームの論理によって小説を解体し、小説の論理によってゲームを解体している。
映画とゲームの複合し錯綜したノベルゲームは、余計なシナリオフォローなぞ入れずに作っただけで、ゲームの論理によって映画を解体し、映画の論理によってゲームを解体してしまっている。
多くのナナメな論者は、映画評論や小説評論、あるいはゲーム評論という枠組みの出張版としてノベルゲームを論じているのだが、自分たちの論じる根拠(映画という枠組み、小説という枠組み、狭義のゲーム性、etcがノベルゲームによって解体されていることに気づかないので、なんだか中途半端なことになってしまっている。やんなきゃいいのだ、余計なことは。
 
そして、デジタルゲーム全般を評価する方法もまた、そうしたノベルゲームの持つ自己批判の力の観点から切り口を見出していけば、ジャンル横断性を内包した巨大な複合領域としてのデジタルゲームという視野が開かれていく。
 
とりあえずデジタルゲームを、そのまま昔からのゲームと直線状に並べるのは少し留めて、かといってアート表現などという物言いに飛びつかず、俺の考えるゲーム性はこうだなどと議論をぶった切る安易な立場に逃げ込まず、ギャンブルとゲームは別物、パチンコとゲームは別物、などと際限なく周辺領域を切り捨てることもせず、現在のデジタルゲームは、ゲームと名がついているけれども、実態は様々な領域の錯綜する複合的な場であるから、その複合から生じる意味や価値について、落ち着いて眺めてみるべきではないか、と指摘しておきたい。
 
だって、サッカーに興じ、将棋に興じる人たちからすれば、シューティングだろうがRPGだろうが、狭義のゲーム性だかなんだかしらんが、「んなもんがゲームとは認めないね」と言われてアウツなんである。最初から己の依って立つ正しさを根拠にするのは、ことデジタルゲームの領域においては愚策以外の何物でもない。

*1:実際に勇者や魔王という言い方を使ってるのはドラクエを除くとそう多くないと主観的には考えているが。

*2:なんせ日付は先に行くほど経過してる等、いかにもループっぽく見えるシークエンスは全然ループじゃない