雑誌改変など

>「んじゃ今ってどんなゲームが多いですの?」
>「量産された女の子の顔色をうかがうゲーム」
>(うわあああああ)

 編集部が解散した某パソパラ2008年2月号の巻末掲載漫画の台詞。これが皮肉として通じると思ってしまえる現状認識の欠如したロートルを巻末漫画に採用する程度の見識だから以下略。

 言うまでもなく「女の子の顔色をうかがう」つまり擬似コミュニケーションをゲームシステムとして行うことは大半のエロゲでとっくに放棄されてる。多くのゲームで選択肢などあって数箇所、それもマップ上のアイコン選択のみで進行するなどヒロインの嗜好や意思とは無関係な選択が大半であり、和姦ゲーは既に『同級生』『ときメモ』フォーマットではない。

 そこで思い起こすのが『ゲームシナリオライターの仕事』(http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31751199)の著者の前田圭士が『逆転裁判』を「アドベンチャーの分野の革新」と評価していたこと。ギャルゲーマーの視点から見ると『逆転裁判』の「つきつける」「ゆさぶる」は『北へ』のCBS(http://www.hudson.co.jp/gamenavi/gamedb/softinfo/kitahe/#game)を受け継いでて、もちろんCBSの背後にあるのはヒロインとの擬似コミュニケーションへの志向。

 現状、「萌えゲー」では既に恋愛もコミュニケーションも排除されており、キャラクターを内から外から鑑賞する以外の用途はなくなってる。ちょうど『逆転裁判』におけるシナリオ文章の「物語進行からコミュニケーションへ」の位置づけの変更と逆のことが起きている。『逆転裁判』の手法が従来のAVG文脈から見て革新だというなら、その逆もまた前進であれ後退であれ決定的な変化だ。